ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

先の事を考えて、急ぐものでもなかった

2021.06.25
当時の自分は、フーテンの寅さん、のようなものだった。
先に自分が退院して、通院日でもないのに、歩いて数分だから、つい顔を出す。
診療所内の時間配分は分かっている、今頃はいちばん皆が退屈しているだろう時刻に、手土産も無しに、ふらりと立ち寄る。
「トラ屋」の店先を、ちょろちょろ行こか戻ろかしていると、
「あら、今通ったの、都之さんではないかしら」
若い、15、6の見習の看護士が、内で弾んでいるような気がした。
入院患者の全員から可愛がられていた、地方からやって来ていた、住み込みの女の子たちだった。
「楊さん、楊さん! 都之さんがまた来ていますよっ!」
頼みもしないのに、階上に大きな声で呼び出しをかけている。


この頃は、誰を目当てに都之さんがやって来ているか、皆、知っていた。
現在のように携帯で連絡し合うわけでもない、次のデート約束をしているわけでもない、それでも以心伝心、午前の診療時間が終わって、昼食も終えて、患者の姿のない待合室に、そろりと「楊さん」が下りて来た。
気の合う、老若入院患者同士で、がやがやと散歩に出かけることはよくしてきた。
多くは、時間が養生、の人たちばかりだった。
M診療所の看板が、M医院でない理由がそれで分かる。
すでに外の空気を吸っている自分に、少なからずの羨ましさもあったのだろう。
療養生活は、退屈の極みなのだ。


来るべき退去日に合わせて、徐々に体を慣らしていかなければならない。
診療所の近場の散策、連れ出してくれる者があるのは、一人歩きの心配がないだけでも嬉しかったに違いない。
入院中に、人柄は分かっている。
15、6の見習看護士のような、おぼこでもない。
人を見る目は、備えているつもりだ。
公園の石段を下りるときに、寅さんは、きっとマドンナに手を差し伸べる。
まったく何気なく、当然のように、内心やや照れて、掌を差し出す。
先の事を考えて、急ぐものでもなかった。
どんなことを話したものだったろうか。


写真は、現在の学芸大通りの、古書店