ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ポタリ、ポロリ、は椿の花などの落ちる様を言う

2021.05.14 よそ見をして、ユ―チューブの音楽や映像に魅入っていると、自分が何をしているのか分からなくなって来る。
迷い路に踏み込んでいる、との自覚がある。
呑気に余生を楽しんでいる場合ではない、自分は自分、他人は他人、の意識を保ち続けなければならない。
安んじることは、難くなく、幸せの国に連れて行ってくれる。
幸せになって悪いことはないが、油断すると、たいてい伸長が止まるものだ。
まだ、その幸せを得るには早い、刻苦が足らない。
老害をまき散らす、往生際の悪い、困ったヒューマンであってやろう。


大学病院の医師と面談し、今月いっぱいで妻を退院させてもらうことになった。
右下肢の動脈血管が2本機能していないので、外科的に切断しても、傷口が癒着するかどうか何とも言えない。
現在の洗浄・塗布療法を在宅で行っていき、痛み止め薬を服用し続けて、
ミイラ状にやせ細って、「いずれは足先がポタリと落ちる」になる。
この状況がどうにも頭に想像できないのだが、可愛い顔して非情なことをしれっと言う、女医の的確、直截な表現には感心した。
「足首から?」
「いえ、指先です」
ポタリ、ポロリ、は椿の花などの落ちる様を言うのであって、聞き返す自分も、いささか穏当ではないような気がする。
たぶん女医は、そのような言葉で説明していなかったかもしれないが、自分にはポタリ、ポロリ、の語感だけが残った。
しかし、不思議と心が騒がないのは、どうしたものか。


帰りに、年初めにオープンした、近頃評判だという、介護ショップに寄ってみると、
明日から通常通り営業致します、になっていたので、ひとまず安心した。
時短、自粛、など「お願いします」が通用しない主人なので、やけになって「エイッ」とばかりに店を畳んでしまいかねない。
その心配はいつもある。


写真は、説明しなくても誰にでもわかる、長谷大仏