ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

子供に還る、佳き日の思い出

2022.07.23 
午前11時に家を出て、JR、東急と乗り継いで12時前に『こどもの国』に着いた。
と言っても、じいじが孫を連れてやってきたのではない。
自分には子供はいるが、孫は居ない。
入場料600円のところ、高齢者割引で半額の300円で広大な敷地内を、ぶらTUNOしました。

40年近く前に、家族で来たことがある。
自家用車に乳母車を積んで、まだ長男一人の頃だったと記憶する。
歩いてみて、意外な高低差があるのに、その頃は妻もかなり距離を歩けたようだ。
トンネルが有ったのを覚えている。

動物たちがどこまで居たか、当時とは変わっているのだろうが、大人でもロバに乗れるとのことで、爺がロバに乗っている写真を撮ってもらおうとして、
運悪く、ちょうど昼休み時間に入ったところで、
待つのが嫌いな性分で、親子連れが何組も待っているので、乗馬は諦めた。

園内を見て回るだけで、2時間もして帰り支度、出口近くのレストランでかき氷を食べた。
このかき氷には思い出が有る。
長男が3、4歳の頃、土日になると臨時収入を稼いでいた。
夏と言えば、かき氷かひやし飴、
機材を仕入れて、相模川の河原で、にわかかき氷屋を始めていた。
飛ぶように売れるとはこのことだ。
いくらで売ったか覚えていないが、たぶん許せる範囲のごっつぁん値で長蛇の列。


何日目かに、地回りがやって来て、
「誰の許可を得て店を広げているのだ! すぐ畳め!」
自分はまあこんなこともあるだろうと肚を決めていたが、妻はそうではなかった。
「兄ちゃん、いいやない。このくらい見逃してや」
平然と言ったものだから、地回りはなめられたと思ったのか、客が並んでいるのに
パラソルとかき氷台をひっくり返して荒ぶってきた。
地回りには小学中程の子供を連れていて、そいつが親の背中を見て、どんな大人になって行くか、なす術もない自分たちを勝ち誇ったような眼で眺めていたのを覚えている。
我子は3歳ほど、びっくりして泣いていたが、それがトラウマになる不祥事ではあるまい。


当時の自分はとにかく金を稼がなければならない。
生命保険のセールスをしていたが、休日に成ると決まってアルバイト、
「まいどお騒がせしております。古新聞・古雑誌などございませんでしょうか」
のチリ紙交換を長くやっていた。
そうやってアンテナを張り巡らし、40歳で自営を始めるまでは、人殺し以外は何でもやる、精神だった。残61日