都之隠士 tunoinshi のアウトインサイド

花咲爺が火山灰を振り撒きます。 史実に遺っているはずもない、庶民の物語を掘り起こして、歴史情話を書いています。

海上散骨

2022.04.12 
生前の妻の希望通り、遺骨を海上散布した。
4月11日、快晴。初夏の気候だった。
子供たちも来てくれたので、家族そろっての見送りができた。
横浜みなとみらいぷかり桟橋、写真のような、クルーザー船が待っていた。

乗船の説明と、船長の奥さんが記念写真を撮ってくれた。
自分は162センチ、長男176センチ、長女168センチ、並んで写って親子の現在の勢いの差を感じた。
親は小さくとも、子は大きく育つ。
妻は自分とほぼ同じ身長、亡くなる時は縮んで150センチまで小さくなっていた。

陸は無風であったが、船はかなりのスピードで波を蹴るので、乗り物酔いの薬をとあらかじめ云われていたのが分かるほどの、波しぶきと横揺れがあった。
さいわい、三人共、船酔いにはならなかった。
ベイブリッジを背景に写真を促され、これも一連のプログラムなのだろう。


所定の場所まで来て船は停止し、遺灰・献花の投下場面では、動画で撮影してくれた。

花びらの浮かんだ投下地点を船は小さく汽笛を鳴らして、一周し、そして横浜港、山下公園に接岸したままの氷川丸、ちょうど寄港していた豪華客船asukaを洋上から見せてくれて、ぷかり桟橋に戻った。
所用時間50分、そのあと、中華街に行き、親子三人で会食した。
妻とも、何度か来たことがあるので、その話題を中心に。


妻の遺骨は分骨、一つは小さな骨壺に納めて仏壇の内に、もう一つは故郷の自分の家の墓地に碑銘を刻んで納骨する。

これで、このブログも当初の妻の介護・その回想からは一旦終了する、ことになる。
明日からは、しばらくはブログから離れて、自分の来し方を振り返り、いわば自伝のような小説を書いていこうかと思っています。
気が向いたときに皆様のブログを読ませてもらい、訪問のしるしにniceを残していきます。
ありがとうございました。



ひげ爺のwebサイトは

「竹田の子守歌」

2022.04.08
Niceが消えたり、コメント欄が無くなったり、IDを変えて再出発したり、
それぞれ、皆、muragon村の住人であることに、工夫しているようだ。
何が良いことか、わからない。
あまり、名前を出さない方がいいのだろうが、名無しの権兵衛ではかえって失礼、血が通わない空疎なものになる。


あいかわらず、独特の表現者、空っ風のきち太郎さん。
ちあきなおみの「花吹雪」を聴いた。
そこに隠された、きち太郎さんのもう一つの「歌」があった。
さらに、ユーチューブの紹介する元歌にまで踏み込んで聞いた。
知っていたことでもあるが、改めて感じた、こともある。


早速に、本日のtwitterにさえずる材料にした。
「竹田の子守歌」
別のブログの中で、それについて会話を交わした。侵略だとか、虐殺だとか、心すさむことばかり。
「竹田の子守歌」を聞いて、空を見上げて、優しい気持ちになろう。


昨日は、別のブロガーさんにも、コメントした。
二人とも、妻の亡くなったころに、コメントいただいた、優しいお方たち。
懐かしさについコメントして、コメントが返ってきたのは、嬉しいばかりです。
とはいえ、あまり他人のブログに立ち入らないように心がけています。


きち太郎さんは、男気のある空っ風野郎、よく歌を知っている、
現役のころは、マイクを握って、聴衆(女の子)をタラシタ、口だろう。
今回も、感極まって泣きながら歌う、きち太郎の哀愁の声を聴いた。
年経ると、いつでも涙が出てくる、いやだいやだ、なあ、

声に出して読みたい日本語

2022.01.15 
やることもなく、片付けでもしようかと、電話台の下の棚に立てかけてあるノート類、訪問介護の連絡帳とか自治会報とか市の案内冊子など整理していると、その中に妻の日記ノートを見つけて、感じ入ってしまった。
そこら辺りは普段、妻の手の届く片づけ範囲で、自分が永年、触っていない。
アラン・ポーの『手紙』のような発見で、そのような所に自分の知らない妻の遺品があったことに、軽いショックを受けた。


今日の或るブロガーさんの記事、映画「濡れた赫い糸」に出て来る置屋の大将奥田瑛二が口遊む歌、―山のあなたの空遠く
自分はもちろん、多くの大人たちが知っている、
それが妻のノートの最初に出ていた。


妻の寝込んだままのベッド生活になる、たぶん四、五年前に、
「字の練習をする」と云って、食卓にしがみついて書いていたのは知っていた。
その時にはもう手指の変形で、まともにペンも箸もフォークも握れなくなっていた。
それで書く練習をしていたのかと思うと、今更に不憫に思う。
気づいてはいたが、気遣いが足らなかった。

『耳』私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ
『おなじく』おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうじやないか
どこまでゆくんだ ずっと磐城平の方まで ゆくんか

いのちなき砂のかなしさよ。
さらさらと握れば指のあひだより落つ


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ


ふるさとの訛なつかし 
停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく


『敦盛』
人間五十年化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。
一度生を受け滅せぬ者の有るべきか。



それとは別に、2006年(60歳)、2007年(61歳)のノート日記が二冊あった。
還暦を迎えて、感じるものがあったのだろう。
ブログの初心「妻を想う」に立ち還って、明日からしばらくはそれを写経のように声に出して、自分の残生の糧としたいと思う。