ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

解放に向けて努力していく

2021.07.01
前日の、のちの自分の妻になる、玉新の学生時代のスナップ写真を見ながら、この文を書いている。
この清らかな愛らしい目を、自分は10年後に、曇らせ、迷わせてしまった。
妻は、便箋ノートに書いている。


<気になる人が現れた、わたしの目の前に釣り糸をたらして。>


今現在の自分は、令和3年(2021)の世に生きている。
妻との思い出は、昭和53年(1978)の初頭にまで遡る。
思えば遥かに遠い、過日であるのに、慨嘆するしかない。
その時の隔たりを、今更にここに述べるからには、もはや予断を許さない状況になっていると、自覚している。
そのようなものを今時に書き記す意味があるのかと、いつも自問しているが、その時期は妻がまだ自分の内に生きている、鬼籍に入っていない、今を措いて他にない。
妻は、ノートに書いている。


<彼の印象を書きませんでしたね。
うさんくさい人、時折誘いにくる面倒な人、見栄えのしない人、まったくと言うほど人の気を引けなかった人。
只、彼の誘いがとても積極的だったこと、私を殻に閉じ込めたままでなく、たとえそれが彼でなくてもよいから、私自身心を開けたいと思えるようにしむけたいという気持ちの強さにひかれて、共に出かけるようになりました。
だから彼自身を見つめ、その良さ悪さをふまえての付き合いではないのです。
こんな友人付き合いが長く続くと良いと思いながら、日曜毎にあちこち徘徊しています。


暫く時間が過ぎました。
人の心は川に漂う笹舟のようです。流れが無いように見えても一定の方向に流れていくものですね。私の方は良き理解者、友でありたいと望んでいます。彼もそれを承知しているのです。
でも男女の関係にはときめきがありますよね。
私は消極的にそれを受け止めるのですが、彼の方はより親しく近い関係にと求めます。友と恋人との中間で二人はバランスがとれているのです。それが崩れたらついていけるかどうか否か解りません。彼は退院の報告方々故郷に暫く帰ります。それで私の気持ちを尋ねたのです。


今の私は恋が結婚に直結しています。でも彼は私にとって結婚する状態の一番遠くにいるのです。結婚は人柄だけとは思いません。彼の経済力、将来性の問題です。現在は無職ですが、身体が本調子になれば仕事はするでしょう。けれどそれは生活の糧を得るためだけの仕事です。彼の夢は文筆家で身を立てることです。それがどんなに難しいことか私にもわかっています。
敷かれたレールを歩いてもつまらない、レールの無い道こそ夢がある、私も同感です。でも、夢の中で過ごすことよりも不安の方が幾倍も大きいのです。結婚に結びつかない恋に入れるとは思えません。彼にも恋ではない付き合い方をしたいと伝えました。彼の落胆した気持ちが痛いほど解ります。
笹舟は川辺に漂っています。打ち上げられるか否かは、彼が上京した時、決まるでしょう。>


長々となるので、今日はここまでで止めておく。
妻の遺した、自身に宛てた便箋の後半部分、それはおそらく想像の域を超えていた。
幸い、妻は祖に大陸人の鷹揚さを持っていた。
そこに大阪生まれのおおらかさが加わっている。
自分はそんな妻、玉新、帰化して日本名「スー」に残りの余力のすべてを捧げて、二人の夢であった、解放に向けて努力していく。


写真は、