ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

この国のかたち、日本各地を旅して見ようか

2021.07.03
朝起きて、屈伸運動していた。
これは寝覚めが良かったので、気力が横溢してきた、軽やかな気分である証拠だ。
自分のwebサイト「鳥にナル」のトップに、以前、下記のような決意表明をしていた。
訪れる者の少ない、ロフト部屋のような空間であるから、そのような花火でも打ち上げないと、陰々滅々としてweb界から追放されてしまう。


どうしても書きたいものが在るので、抽斗の中をひっくり返して、これは必要、これは貴重、これは最悪と並べてみる。
表現というものは何だろう、と考えて、なぜ自分には辺境のテーマしか与えられないのかと自問する。
このままでは只の老残、生き恥をさらすことになる、と本日 2021.03.05 に真の化鳥になることを決心した。


その3月5日に、このMURAGONブログにどんな記事を書いていたのかと振り返ってみると、


昨日、パソコンメールに、D賞予選結果案内が届き、空を見上げてサクラチルの風景を見た。
今日はアマゾンから、「文学界」という雑誌が届く。
送ったからには、反応を見なければならない。
昨年の執筆時期は、鬱々としていて、奮い起こそうとする気持ちが強く、たぶん内に内にと向かっていた。
反省して、昨日までの気分を外に放り出す。
妻が昨夜、パソコンに向かったり離れたりしている夫の姿を見て、
「あ~あ、疲れた?」と言ったのには、驚いた。
「動かないのに疲れるの?」
「そう、動かないと疲れる」
それで、新たなウエーブに向って、動き出そうと思う。


そう書いて、その日の気分を締めくくっていた。
妻はそのときはまだ生きていて、自分が何を苛立っているのか、ベッドの中から自分を気遣っていたのだ。
この年になって、何も今更、昔の夢を追うことはない。
暮らしの成り立つ生活費はちゃんと稼いでくれたのだし、子供も大きく育ててくれたのだし、失敗もあったけど家もちゃんと残っているし、この上、何を欲張りましょう。
わたしより先に死なないでいてくれたら、それ以上のことは望みません。


何か小さなコップの中で、一人もがいているような気がしてならない。


ローソクと線香の火を絶やさない、それでいいのか。
そんな男と結婚したのか。
叶うものなら、どんな小さな賞でもいい、
「やっと世間から認められたよ!」
せめてそんな手土産がなければ、あの世で妻と会うことも出来ないじゃないか。
不器用だけど、そんな思いをバネにして、生きていくしかない。
そうしているうちに、徐々に、衰弱してくる、
すべては、夢まぼろし、になってくれる。
そうなる前に、この国のかたち、日本各地を旅して見ようか。


写真は、飛鳥の残照