ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

今ほど愛おしく思う時はない

2021.02.10 庭の駐車スペースに車が無いのは淋しいものだ。
1964年に免許を取って以来、車に乗らなかった期間はほとんどない。
ホンダのN360、三菱ミニカ、マツダキャロル、シビック、サニー、カローラと乗り継いで行った。
都会に出て必要を感じなかったので数年は乗らなかったが、すぐにまた乗り出していた。
40代で始めた自営業で羽振りのいい時代もあったので、最後に乗ったのは、なんとBMWカブリオレ・オープンカーに乗って正月元旦の早朝に、月光仮面のような出で立ちで、ゴーグル・マフラー、シートの暖房を上げて、東名高速から御殿場、河口湖、大月から中央高速に乗り、相模湖インターで降りて地の道を通ってぐるりと一周して帰って来る。
なんと馬鹿げた楽しい時代であったことだろう。
故郷に帰り、当時90歳にもなっていた母親を助手席に乗せて、嫌がるのを構わず、一生一度のオープンカーに乗せて、倉敷の美観地区辺り、爆音を轟かせて疾駆してやった。
この時、小生58歳。あれから17年。
免許証更新、高齢者講習の申し込みがどうしても電話がつながらず、あれは高齢者にもう乗らないでくれ、との国の意思表示ではなかろうかと、結局免許返納に決めた。
当然、車も手放した。
今はゆっくりゆっくり自転車の旅。
今朝も妻は足が痛いと訴えているが、それをどうこうできる知識は持っていない。
妻は一、二度オープンカーに同乗したが、あまりに座席が沈み込んでいるので、当時の今より元気であった頃でも起ち上がることができない。
そればかりの理由ではなかろうが、あきれた夫をただ笑って見送っていた。
ベッドから車いすに移す時、ヨイショと声に出して抱え起こす。
軽く乗せることができると、本人にもわかるらしく、
「今のは軽く持ち上がったでしょ」と言う。
そんなときには、長年連れ添った夫は、考え込まなければならなくなるものだ。
言葉を変えれば、抱きしめてやりたくなるものだ。


都之隠士の世界