ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

「Who are you?」と言われないように

2021.02.28 どこかで書いた覚えがある。
別サイトの「鳥に化る」に、アマゾンKindleで発表している小説作品、あのうちの一つが昨日2月27日に予選発表があると思って、パソの前に座るとすぐにWEBを開いて確かめるが、一向にその兆候がない。
前回がそうであるからといって、今回も27日であると決まっていないのかもしれない。
今現在、28日の朝になっても、WEB上に発表されていないので、そう考えるしかない。
応募規定に、未発表小説に限る、ただし同人誌など商業出版ではない形で発表した活字原稿は選考対象とするになっているので、応募した後とはいえ、アマゾンKindleで発表したのは浅慮であったかもしれない。
筆名は変えているが、中身はそのままだから、身体検査をされると聞いているので、対象外と判定されても仕方なしか。
まあ、何事も多くを期待しない方がいいのかも。
このことになると、妻のことも先行き未来のことも、どこかに吹っ飛んでしまうので、昔流にいうと、無名作家馬鹿、ということになる。
これらのことは妻を含めて子供たち、兄弟・親戚・係累の誰も知らない、何かを書いているのだろうが何を書いているのか知らない、まったくの隠士の虚妄な世界。
生きて来た証に、ムダな時間を費やしているようなもの。
とはいえ、あくまで自分の時間内のことです。
妻子を顧みない、生活を壊す、それほどの全集中ぶりを発揮しておれば、もしかしたら別の人生を歩んでいたかもしれないが、それほどの覚悟もなかったので今日の自分がある。
しかし、昨夜も就寝の前に妻と話したことは、大切な事だ。
「快は? ジュエはどこに行ったの?」
「二階に上がっている。どこにも行っていない。今までは二人きりだったが、これからは姿が見えなくても、快もジュエもこの家に居る。安心だよ」
3時間も前には、一緒に食卓を囲んだのに、しばらく姿が見えないと、子供は二階に上がったのだということがすぐには理解に直結していない。
妻と話していて感じることが有る。
妻と自分は、同じものを見ながら、同じものが見えていないのかも知れない。
まだ先のことだろうが、妻から「Who are you?」と言われないようにしなければならない。


うっかりして、椅子が破れているのに気づかなかった、