ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

眠れない時は煎餅を齧る

2021.02.09 妻が「監察医朝顔」というテレビを見ている間に風呂に入る。
夜10時には就寝させるために、その前に風呂に入っておくというわけだ。
今年の冬は「旅の宿」という入浴剤を見つけて、各地の温泉地巡りをしているつもりになっている。
格別温泉に行きたいという欲求があるわけではないが、テレビには季節柄、温泉巡りの番組が多く見られるような気がして、あそこへ行ってみたいこちらに行ってみたいと、つい乗せられている。
ひまと金があれば、すぐにも出かけられる夫婦もあるだろうと思い、今はコロナで自粛しているのは老後の余生を奪っているようで、我が身の事ではないが心配ではある。
旅の写真・感想記がネット上に溢れているのは、平和の証だろう。
昔は(この口癖は老爺になっている証)今の世のように、自分の思いを他人に話したり見せたりしなかった。
せいぜい数人の、心許せる者が居れば、十分だった。
今は、数百人、数千人、数万人、の聞き手を求めているような気がする。
それで自分の位置を確かめている。
聴衆が少ないと、それが自分の価値であるかのような、錯覚にも陥る。
そんなときに、窓の外の景色や、散歩中の草花や鳥など見つけると、ほっと自分を取り戻して純粋な気持ちで、しかしそれをパチリと撮るのはやはりどこか皆、寂しいのだろう。
妻はドラマをよく見る。
しかし、それが記憶に強く残っている風でもない。
眼前の景色がすべてで、過去も未来も景色として結ぶ景色ではない。
ベッドに移動する時、
「横になっても眠れないのよ」と言うので、
「いつかは眠れる。昼間寝ている時間を足すとちゃんと一日分寝ている」
と訳の分からない理屈で納得させた。


無頼派の太宰か安吾が話していたと思う。
―眠れぬ夜は煎餅の一枚も齧れば腹がくちくなって眠れる―


都之隠士の世界