ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

図書館を梯子する

2021.02.11 久しぶりに図書館に足が向いた。
駅まで歩いて10分少々、駅向こうに300メートルほどの距離。
図書館は最も安上りの時間つぶしです。
平日の午前10時過ぎ、居るのは老人と幼児連れの若いお母さん。
読書スペースに10脚ほどのパイプいすが置いてある。
ほどよい室温で足を投げ出して寝ている者もいれば、熱心に新聞を抱え込んでいる者もいる。
社会に何するでもない、時間ばかり持て余す老人には、これ以上ない、格好の憩いの場になっている。
図書館に行ったのには一つの目的があった。
「文学界」という雑誌を手に取って、パラパラめくってすぐに戻した。
だから、中身にどんなものが載っていたか記憶にない。
作家の名前を知らないし、どんな作品を書いているのか、読んで行く情熱と根気が失われているので、新しい感覚を取り入れることできない。
空いている椅子に腰かけて、ランダムに開いた「文学界」ページを読みかけて、決してブロックしているわけではないのに、まったくそこにある文章が頭に入らないのに、自分のせいなのかと心配した。
実際、頭が老化しているのには間違いない。
図書館を出て、隣り合っている公園を散策した。
これは気持ちいい。
今日は水曜日、街をぶらぶらして昼飯を食べて帰る時間があるので、駅に戻り、町田に向かった。
ルミネのレストラン階でランチとジョッキビールを頼んだ。
その後、まだ時間があるので、今度は町田図書館に向かい、そこで「オール読物」を手に取り、併設の喫茶コーナーでコーヒーを飲みながら、ページを広げた。
マンガ載っており、それは耳にしたことのある女流作家の作品を懇意な女流漫画家が描いたものだと分かった。
こちらはすらすらと世界に入り込めた。
風俗ではあるが、決して笑ってすませる内容ではなかった。
「文学界」は芥川龍之介、「オール読物」は菊池寛、
少年時、「父帰る」に涙した記憶があるので、自分の資質は「オール読物」なのかもしれない。
しかし、不毛な内容を書こうとしているので、どちらつかずの中途半端なものになってしまっているかも知れないと自省もする。
昨日の日誌に書いた、長生きした老母が何かの拍子に話したことがある。
「わしが見て来たことを文章にしたら、本になるかな?」
達筆な字を書く、最後まで意識がしっかりしていた、大正デモクラシイの世に産まれた母親の言だ。
万感の思いで、尊重してやらなければならない。
それが、子孫の勤めでもある。
帰ると、妻は用意していた昼食をヘルパーに支度してもらい、車いすに乗せられて、テレビを見ていた。
ミカンの皮をむいで、差し出すとニカッと笑って食べていた。
三時には別のヘルパーがやって来て、ベッドに寝かせてもらえる。
その後は、いつもの日常に戻って、老老介護となる。
また、楽しからずや。


この日のアリバイです

相模原図書館

町田図書館