ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

正気になって言うことが可笑しく

2021.02.12 排尿のパック袋の栓をゆるめて、容器に移して取り出しているときのことだ。
「パパも大変だね。大きに感謝申し上げます」
と、ときどき妙な丁寧言葉を真顔で話すので、微苦笑するしかない。
「大きに」は関西弁の「おおきに」なのだろう。
「申し上げます」など普段使わない言葉が出るのは、実際にそのような心情になってふいと衝いて出てくるのだろう。
一日、1500から2000ccほどの尿が溜まる。
それをトイレに運んで行って流すのだが、時々、もし万一、容器の取手が折れたり、何かに躓いてひっくり返したら、目も当てられない大惨事大恐慌になるだろう。
そこら中に振り撒かれた、尿の臭いはしばらく消えないにちがいない。
尿は拡散して揮発するときに臭いを発出する。
その心配が全くないわけではない。
先週の大学病院皮膚科のつづきで、今日は病院に行かなければならない。
昨日が祭日だったので、一日日延べの診察日になったのだ。
昨夜、介護タクシーを時間指定で予約すると、休日明けで込み合っているとのことで、少し急かして出かけることになった。
病院に行く日は決まっていたのだから、もっと早く連絡して置けばよかった。
例によって、何を着て行くかで、他愛なく頭を使っている。
本人の衣服は二階の寝室にあるので、直接手に取って決めるわけにはいかない。
階段には電動の昇降リフトがついているが、それに乗って上がるのもかなり前から、ままならなくなっている。
なにより、そんな面倒な動きはしたくないのだ。
それゆえ、色・形を聞いて、夫が急遽サーバントの役を受け持って上がり降りする。
一度で決まらず、二度三度と繰り返したとき、妙な感覚に陥らなくもない。
「大きに、承知致しました」
そんなときに、その言葉が快く思えることがあるのは不思議だ。


相模原鹿沼公園