ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

なぜ? は赤ん坊への知恵がえり

2021.02.13 病院で予約時間が過ぎても、診察の順番の受付番号がなかなか表示されないのに、我慢が切れそうになることがある。
一定の間隔で番号が切り替わっていると、呼ばれる時間が近づいていると安心できますが、表示された番号がまったく動かなくなって久しいと、段々苛々してくる。
前の人に時間がかかっているのだ、大変な症状なのだろうと同情したり、医師がリラックスコーヒーでも飲みに行って席を外しているのではなかろうかと、朝食の喰い合わせが悪くて下痢でも起こしてトイレに籠ったままになっているのではなかろうかと、いらぬ心配までする。
そんなときに、つい洩らした妻の言葉です。
「なぜ、病院に来ているの? 今日は何を診てもらいに来たの?」
しかし、そのなぜ? は長くつづかない。
自分で考え込んで、自分で処理しようとして、何も出て来ないと、何を考えていたのかをすぐに忘れてしまうのだ。
人一倍、薬学に詳しかった妻だが、現在はその粒の形状、一日に飲む個数ぐらいしか関心がないようだ。
そして実際、薬の効能を知ったからといって、その効果の程度が、現在の状況を招いているのだと納得すると、関心がそっぽを向いても当然だ。
大人の知恵を見せるときもあれば、2、3歳の幼女の知恵しかないときもある。
それを毎日見ていると、何も考えなくなり、黙々と目の前の日課をこなして行く。
妻の目となり鼻となり耳となり、手足となって、生きて行く。
根が暢気で大雑把な男だったので、あまり深刻に考えることはないが、ときに肩をぐるぐる回して自らをほぐしている。
本日の診察結果の処方箋、三種類。


ミノマイシン 細菌の感染を抑える
ヘバリンクリーム 血行を良くする、保湿効果のある
アセトアミノフェン 痛みや熱を抑える


来週も又、金曜日に通院しなければならない。
市からの補助タクシー券が切れたので、往復約一万円の現金払いとなる。
妻はそれを知って、一万円と云う意味を一瞬は理解しているようだが、つぎの瞬間には頭から消し去ることができる。
なぜ、全身に痛みがあった時代のことや、幾度もCIUに入院したことや、最近の片足を失くしたことも覚えていない、などという事が起こるのだろうか。
幼女の知恵から、いずれは赤ん坊の知恵に移行するというのは、どうも本当の事のようだ。


都之隠士の世界