ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

遊びをせんとや生まれけむ

2021.06.09 遊びをせんとや生まれけむ、中世に流行った今様の謡いです。
中高の頃の、歴史か古典かで学んだ記憶があります。
テレビでもやっていた。
松山ケンイチの清盛 松田翔太の後白河天皇 伊東四朗の白河法皇、
どちらかといえば、年齢的にも顔相的にも、伊東法皇になる。
貴族の真似をしようと考えているわけではありません。
庶民は即物的な、遊びをせんとや、になります。
誹りを受けるかもしれない、よくよく気を付けなければならない、と常日頃から、自戒していることです。
だが、一人ぐらいはこんな色気に染まった話があってもいい、との甘えもある。


元々は16日の水曜日に、街に出かけたついでに立ち寄るつもりだった。
妻が在宅看護のときから、水曜日を一日骨休みとして、それをそのまま踏襲していた。
それが昨日、指定された火曜日に、コロナワクチンの予約がネットで取れて、来週月曜日の接種と決まった。
情報では、接種後1,2日はおとなしくしていた方がいい、となっている。
接種二日後の、遊びをせんとや、では何かと差しさわりがあるかもしれない。
たいしたことではない、
古くなって、固くなった身体のあちこちを、メンテナンス、いわゆるマッサージに揉みほぐしてもらうだけだ。
実に、溜まり積もった、人生の垢離がそげ落ちてくれる。
あまりの気持ちよさに、思わず知らず、油断してしまう。
固くなった全体がほぐれて、代わりに、柔らかかった部分が固くなる、からだ。
そら見たか、語るに落ちる、とはこのことだ。
マッサージは、士ではなく嬢に行ってもらうので、当然、かなりの接触があり、馴染みの子になると、こちらが老爺だと侮って、わざときわどいサービスの提供をしてくる。
体験者は皆、それが目当てで通っている。
仏になる寸前の後期高齢者には、それぐらいのお目こぼしはあってもおかしくない、と開き直っているわけではないが―。


「凝っていますねえ」
「どこが?」
「いやですよ。お肩やお腰ですよ」
「そうかい。他に不健全はないのかえ?」


久しぶりに垢離を落としに、遊びをせんとや、行って参ります。


写真は高尾山