ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

影法師を踏む、(自分の)

2021.11.17 
そこまでやって来ている、冬の夕暮れ、
地面に落ちた、自分の影法師を追いかけて行く、そんな遊びが、子供時分にあった。
何故だか、影法師の頭、テッペンを目がけて飛んで行く、
が、踏んだと思った瞬間に、影法師の頭、テッペンは先に進んでいて、
決して自分では捕えることはできない。


――絵心がある人は、ここにイラストなど添えるのだろうが、


そんな遊びにも似て、
自分の書いた小説の不備がどんどん見つかり、
ひと月前には、もう手を加えることはないと絶対の自信があったものが、あっけなく揺らいでいる。
それが分かった以上、そのままにしておくわけにはいかない。
再考したものは、ストーリーは変わらないが、テーマに厚みが増した。
元々、その主題のつもりで書いていたのに、妙ちくりんなものに腰砕けて、
つまりは良識(過激ではないという意味、あるいはR18、表現の自由の制限など)という範囲に納めようとして、もっとも重要な部分の表現がゆるゆるのユルフンになっていた。


悪貨は良貨を駆逐する、悪食は美食を凌駕する、
評価は他人がすること、
他人におもねる必要はない。


そんなこんなで、
渾身のつもりで書いた、「よく笑うようになった」が、
新しく「千二百年の想い」にタイトルに変えて、また別の小説賞に送ることになった。
ペンネーム、都之隠士、都の隠れた士、は、いかにも引かれ者の小唄になっている。
それだけで、色眼鏡で見られかねないので、別のペンネームに戻します。


今月の末には、久しぶりに箱根の温泉に浸かって、のんびり、ゆらゆら、
12月に入ると、先月亡くなった妹の49日法要で、また岡山に帰ります。
そうしているうちに、大掃除、大掃除と今年も終わる。
niceは残していませんが、お気に入りのブログは読んで、感動したり、考えさせられたり、刺激や励みをもらっています。
自分のブログは、気まぐれに突然に無くなります。
コメントを寄せていただいた方の文章も消されてしまいます、
心苦しく思いますが、ごめんなさい、です。