ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

抜けるような青空には、突然の夕立の予感

2021.06.10 月曜日に術後の説明を受けたばかりなのに、水曜日も夕方、整形の医師から電話があった。
――熱が9度近くあり、呼吸も少し荒い、元々、肺炎が底に残っているので、また出てきている、痰を取り除いて、抗生物質を変えてみます―
そのような電話を貰ったのは初めてのような気がする。
2年前の左足アプトのときは、術後に症状の様子を知らせる電話などは一切なかった。
もっともその頃は、一日おきに見舞いに行き、顔を見ることができたが、今回はコロナ騒動で病室内に入れない。
家族の不安を取り除くために、丁寧な説明を欠かさないのかもしれない。
それは有難いが、術後の容体が好転していないというのは、気がかりである。
自分は小心者で、すぐに悪い方の予感に襲われる。
庇の足の痛みは取り除いたが、母屋の肺炎が重篤になっては、元も子もない。
医師に、頼るしかない。
身体にメスを入れるのは、命がけの、決心だ。
妻の体力が、心配でもある。


この日は、浮遊の帰り道、JRの事故があり、横浜線は東神奈川⇔八王子間が何時間も不通になって、町田駅の改札周辺は大混雑していた。
券売機もランプが消え、切符が買えないようになっていた。
しばらく待っても動きそうにないので、バス乗り場に行くと、そこも大行列になっている。
JRで二つ先の淵野辺行は便数が少ない。
しかし、それしか帰途につく足がない。
距離6キロほど、歩くにはかなり骨が折れる。
やっと来たバスには乗れず、二本目に乗り込むことができた。
途中のバス停で待っている乗客には、満員のアナウンスで乗車不可とされ、ほとんどが高齢者の待ちぼうけで、可哀そうだった。
次のバスにも、同じアナウンスされると、老人の怒りが爆発しないかと心配になる。
昼間がそうであったから、夕刻の病院からの電話も、或る意味、予測されたものであったのかもしれない。
抜けるような青空には、なにか突然の夕立の予感がしなくもない、そんな一日だった。


※昨日の、おちゃらけ文、余分を一部カットしました。
写真は高尾山