ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

そう考えて、朝夕の線香を欠かさないでいる

2021.06.20
小川洋子の「博士の愛した数式」を読んでいる。


いつどんな場合でも、博士が私たちに求めるのは正解だけではなかった。
何も答えられずに黙りこくってしまうより、苦し紛れに突拍子もない間違いを犯した時の方が、むしろ喜んだ。
そこから元々の問題をしのぐ新たな問題が発生すると、尚一層喜んだ。


√に-1をはめこむ問題
「そんな数は、ないんじゃないでしょうか」
「いいや、ここにあるよ」
彼は自分の胸を指差した。
「とても遠慮深い数字だからね、目につく所には姿を現さないけれど、ちゃんと我々の心の中にあって、その小さな両手で世界を支えているのだ」


厚かましい読者になって、この文章をもらうことにした。
文を読む楽しみは、書かれてあることの一部だけでも自分のものにして、脳に養分を与えて枯らさないことだ。
思いがけずも自分を体現してくれている文章に巡り合うと、一日、いい気分で過ごすことができる。
Muragonブログの中にも、多くの楽しみや発見や教えを見つけている。
せっかくの持ち時間を、無駄にしてはならない。


自分は、
√に妻という字をはめ込んで、
「ここに在るよ」
「とても遠慮深い妻だったからね、目につく所にはもう姿を現さないけれど、ちゃんと自分の心の中に在って、いつまでも自分の傍に居てくれているのだ」
そう考えて、毎朝夕の線香を欠かさないでいる。


写真は、今よりは若かりし頃の