ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

何か遺そうと立派な装丁の自費本を10冊ほど印刷

2021.06.07 昨夜は妻から5日ぶりの電話があった。
側で看護士が手助けしているようで、はさむ声も聞こえた。
こちらから電話するのは、まだ早いと手控えていた。
アプト手術した日の次の火曜日にかかってきた電話では、何を話しているのか要領を得なかった。
アプトに覚醒して、うろたえているというのではなくて、新しい形になった自分にまだなじめていない、無い痛みに痛みを感じる、術後の軽い錯乱状態にあったようだ。
昨夜はしっかりとした物言いだった。
言葉の出は悪いが、聞き取れないものではなかった。
歯磨き粉と楽薬ゼリー、それを要求した。
いつもなら、話した後に、
「どうして顔を見せないの」とか、「わたしのことはもう忘れているのではないか」とか、きつい文句の一つも聞かせるのだが、そういった愚痴はなかった。
どんな状態なのか、1週間になるのでもう縫合の痕はくっついているのか、気持ちは落ち着いているのか、そんなことを早口でまくし立てて
「いい、わからない」と電話を切られてしまった。
まあしかし、弱々しい(そんな妻ではない)声でなかったのはよかった。
「いつ退院できるの」と訊くだけの、せっかち元気はあった。


昨日は昼間、故郷の友人からも電話があった。
「わかる? 元気でやっている?」
彼は、数少ない自分の故郷の同窓の友だが、意外な内容だった。
「いやあ、うちの奥さんが、以前もらった君の小説を読んでいて、面白い、よく調べている、と感心しているんだ。ぼくは目が悪くて、字を読むとかすむので、なかなか進まない、代わりに妻が興味を持って読んでいる」
彼ら夫婦は、ネットはやらない、だから読んでいるのは、紙の本だ。
数年前、生きていた証にせめて何か遺そうと立派な装丁の自費本を10冊ほど印刷して、それを贈った、「石庭は言へらく」、
名の有る著者の本ではない、気持ちがなければ読まない、読んでくれるのは有難いものだ、感謝しかない。


ところで、昨日は夜に、ブログ友、きちさんとコメントし合った。
今朝、そのきちさんのブログが無くなっている。
どうしたのだろうか?


写真は、東京高尾山