ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

自然体の、頑強な老婆の貌

2021.04.04 妻を見ていて、感じることがある。
肉体の老化は仕方がない。
これは、生きとし生ける物、だれにも平等にやって来る。
誰もそれから逃れることはできない。
善行を積んだので、あなたは老化を免除します、という大岡裁きはない。
悪行を重ねたので、あなたは老化を早めます、という閻魔裁きも無い。
むしろ悪辣な生き方をして来た者ほど、若々しさ、を誇示しているかもしれない。
秦の始皇帝さえも、不老不死を希って、只の老者になって、亡んだ。
まして一小国民に、特別な恩恵が与えられるものではない。
恩恵といえば、長男が大阪から戻って、一月になる。
都会暮らしをしていた若者が、実家に帰ることを快く思わない、妙な風潮がある。
我が家ではコロナなどまったく眼中にない。
戦争に出かけた息子が無事に帰還してくれた、その喜びの方が大きい。
既往症のある高齢者はコロナ感染すると、重症化する率が高い、らしい。
リュウマチ治療は、元々、免疫の暴走を抑えることにある。
そこにコロナの襲来ではひとたまりもない、万事に慎重な長女の意見だ。
「兄ちゃんが帰って来ている。顔を見に帰っておいで」が通用しない。
長女も都内の会社に電車通勤している。
両親に、都会のバイキンを持ち込んではならない、それも正しい。
妻はそのことを理解しない。
「なんで今更、コロナが恐いの?」
そんな妻の顔から、不思議なことに、老化の表情は消えた。
実に自然体の、頑強な老婆の貌になっている。