ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

ひばり放送に紹介される

2021.04.03 相も変わらぬ24時間が過ぎて、思い起こせば起床から就寝まで、我が事のように分かる。
普通なら、同じ家に住んでいる夫婦と云えども、その一挙手一投足が相方に丸見えと云うことはない。
部屋を離れれば、もう相方の動きは見えないのだから、視界から消えて、それぞれの持ち時間を気ままに過ごしていい、ことになっている。
ところが、妻は夫に自分の持ち時間を丸投げしている、丸投げするしかないので、妻の分まで預けられた夫はいきおい、二人分の動きまで分かるというわけだ。
なにしろ、妻の動きは、起きては半畳の車いす、寝ては一畳の介護ベッド、という極めて慎み深い狭い範囲の動きしかできない。
これでは見に行かなくても、すべてがお見通し、の絶対安心感がある。
昨日も市役所ひばり放送が流れていた。
「どこそこにお住いの〇〇さん75歳女性が今朝ほどから行方不明になっています。服装は黒いフリースにリュック姿、身長は1メートル50センチほどの痩せ型、お心当たりのお方は近くの交番または……」
自力では立ち動けない妻は、ベッドから抜け出して、ひばり放送に紹介されるような、自身の記憶を頼りに風雅を愛でに戸外を散歩する、自由さを満喫することはない。
捜索願を出さなければならないようなことは、金輪際ないだろう。
そんな不埒なことをふと思ったりしたために、本日はやや短めの日誌です。