ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

隣人のためではなく自分のためにも

2021.02.21 この家に住んで24年、となりは長い間ずっと畑地で、川沿いの遊歩道を歩く老若男女、犬の散歩・ジョギング・サイクリング、と人の営みの姿を眺めることができた。
しかし、とうとうその贅沢は失われて、昨年の夏に宅地に造成され、見る間に新築の家がいくつも建った。
庭からも、二階の窓からも、眺望はまったく閉ざされてしまった。
残念ではあるが、日当たりは以前と変わらないので、せめてそれを良としよう。
今現在、7戸のうち3軒が売れて、いずれも玄関は川沿いの方でこちらは裏手になるが、
引っ越しの挨拶に来られ、皆、若い、40前後、50前後と見受けられた。
一つの家からは赤ん坊の泣き声も聞こえて、賑やかな人の気配に満ちるようになった。
考えればその人たちの年代に、自分たちも4人家族で引っ越してきたことになる。
今は、老々の二人暮らし。
となりは何する人ぞ!
それもすぐに分かる。
ほとんど毎日、自転車、軽自動車、入浴カーと入れ替わり立ち代わりで出入りがある。
主人の顔は庭先で見かけることがある。髭面の老爺だ。
もう一人居るはずだが、姿を見かけることはない。
その同居人のために、人や車の出入りがあるのだと分かる。
たぶん、寝込んでいるのだろう、と思っているに違いない。
元々の隣家3軒とも、もうかなり長い間、声を掛け合っていない。
たぶん、他家の事情に、遠慮しているのだろう。
そんな隣人たちに顔を見せてやるためではなく、もう少し暖かくなったら、家に閉じこもったままで退屈しているだろう妻に声をかけて、部屋から出るためには、玄関にスロープを渡し、門扉のところまで継ぎ足して、外の道路に出る、
健康な身体であればすいすいと歩けるところを、まさに清水の舞台から飛び降りるつもりで、川沿いの道を散歩に連れて行ってやるのも楽しそうだ。


都之隠士の世界