ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

家族のために生き延びるアプトを選んだ

2021.06.02 自分の事ではないから、その時の感想があるわけではない。
歯の抜歯で、歯肉に麻酔をかけられた、針を刺されたチクリとした痛みと、周辺のしびれの感覚は残っている。
それのもっと大きな感覚だろうか。
全身麻酔ではない。
半身麻酔と聞いている。
アプトamputa切断の痛みは感じないだろうが、頭は覚めたままであるから、どこか他人の手術を眺めている感覚だろうか。
耳も聞こえているから、医師たちの会話も入る。


「わたし、失敗しないので」
「バイタルチェック」
「メス」
「モノポーラ」


そんな耳慣れぬ単語が飛び交っているのだろう。
左足の時は、気持ち的に手術前の伸びた脚をさすって、妻を送り出した。
目覚めたら、膝下のない、自分の脚を知ることになるだろうから、愛惜の想いで。
有っても、ほとんど用をなさない、自立できない状態になっていた。
それから2年、あれから2年、
残った右足と、義足を付けた左足で、歩行する姿を見せることはなかった。
歩く訓練をしていったが、上半身の体重を支える筋力がなかった。
杖があれば、普通の人は片足で立つことができる。
股関節に歪みがあるので、数分もすれば妻の我慢の糸は切れて、倒れこむ。
そんな状態で、今日まで生き残った右足の命運だ。
アプトになろうとも、左足のときほどの悲憤ではなかろう。
そんなはずがあるはずがない。
年齢を経った者の、諦めがなければ、誰も身を削られる善とするはずもない。
「まだ、居て!」
それは妻の、家族のために生き延びるアプトを選んだ、代償の求めだった。


※読者登録ありがとうございます。どなたかわからないのでここで御礼申し上げます。


写真は、箱根