ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

「鏡の中の、某」

2021.06.03 4年ほど前の創作ノートが、パソコンに残っていた。
それを読むと、あれこれ周辺の整理もついたそのころから、本気で余生を創作に捧げようとしていたのがわかる。
自分の出発点、モチーフであるので、この場を借りて老爺の道しるべとしたい。
誰にでも大なり小なり有る、虎か馬か、と素直に言わないところが、ひねくれ者の自分らしいが。


或る日、ほろ酔い気分の男が、「さて」と自身に向き合い、机の前に座って抽斗の中を開けてみたら、いろんなものが詰まっていた。
インクの乾いた万年筆、芯のないボールペン、先の折れた鉛筆、三角定規に分度器にコンパス、誰の抽斗からも出てきそうな、いまさらな煤けた遺物など興味はないと一蹴されそうだが、そこに小学生時代の懐かしい粘土作品の円盤があるのに気づくと、男は、俄然、色めき立った。


記憶ではそれは図工の時間に、オタク教師か近所のエセ中学生から教えられて知った、ヒミコという名の女王の、耳に響く音感に胸騒ぐものを感じて、はるかな当代人の姿を写す鏡のつもりで作成したものであった。
いまも釉薬が効いていて、眼鏡拭きの絹布で磨くと表面はつるつるになった。
そんなものがそこに有った意外の発見で、興奮しながら、神獣鏡に見立てたつもりで顔を覗き込んでいると、見えてくるものがある。
始めは混沌として気象もあきらかでなく、それ故、名も無く為も無かったが、こおろこおろと掻き混ぜていると、徐々に人の影らしきものが見えて来た。
当代の、現今に続く、男の祖先、である。


むろん、あくまで自分本位な想像の産物、だと男には十二分に承知している。
ただ現代の今に、男が在るからには、一代二代三代、五十代百代前も確かに男の祖先はこの世に存在したのである。
人は空中の塵芥から、突然変異的に発生したのではないことぐらい、最新のDNA鑑定に頼らずとも、大昔から分かっていた。
小学生が作成した粘土鏡の表面は、六十年の歳月を経て、処々にひび割れが生じていた。しかし、中でうごめくものを写し出すに不具合なほどのひび割れではなかった。
いずれ画像のタイル加工のようなもので、モザイク、拡散、蜃気楼など、どのような暈し処理をしようとも、そこに原像が在ったことに間違いない、と男には分かっているからである。
メモにタイトルはなかったが、あえて言えば「鏡の中の、某」となろうか。


4年たって、そこから一歩も抜け出していないのがわかって、これでは妻に「薄情者」と言われるのも仕方がないな、と思ったものです。
ちなみに、下段の「石庭は言へらく」はその頃に書いたもので、初稿では三品卿ではなく、帝、と表現していた。さすがにそれでは問題があると反省して、各所、ゆるやかな修正を施しています。


写真は、倉敷市真備町水害の翌年に帰郷して撮ったもの、住人は居なかった

二階の屋根近くまで水が来たそうです

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