ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

当人にとって、イノチと同等の覚悟

2021.05.27 大学病院の担当医師から血液検査結果の報告があり、やはりCRPが下がっていない、整形の医師とも相談して、血管一本で足の治療を続けるのは今後とも難しい、ついてはアプト切断の手術方向に移りたいがそれでよろしいか、と。
妻に対しての問診確認事項に電話応答で済ませ、土曜日の子供たちを連れての面会時間を午後1時に変更して、来週月曜日夕方5時に整形の医師から説明を聞き、手術日は水曜日に決まった。
2年前の、左足膝下切断の時は、非常な精神的不安に襲われたが、今回はほとんど心騒がない。
慣れもあるし、諦めもある。
譬え違いかもしれないが、瀕死の部位に止めを刺す、それで苦しみから解放される、外科手術の基本的な心得だろう。
妻には電話で、そのような意味の励ましをした。
いつまでも治らないのなら、その箇所はスパッと切るしかない。
あんたには余人にはない、耐性能力がある。
人間の体は、治癒再生する。
「6月、7月、と経ったら、家に帰れる。もう少しの辛抱だ」
「わかった。それでいい。それに決めたから、もう心配しなくていい。家に帰ってパパの世話になります」
時には、何をしゃべっているのかわからない妻の話声が、はっきりと聞こえた。
顔は見えないが、妻はしっかりとした目の光を取り戻しているように思った。
指一本でも、切断の恐怖がある。
左足を失って、今度は右足の番だ。
交通事故の意識不明者の足を切断するのではない。
発病して、50年間の覚醒をもって、見つめて来た自分の身体だ。
一つの決心をするというのは、当人にとって、イノチと同等の覚悟が必要だ。
夜、静まったとき、病室の明かりが睡眠の邪魔にならなければいいのだが―。


写真は、玄関先の花鉢