ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

一瞬に理解して、一瞬に切り捨てる

2021.05.28 気難しそうな顔の向こうにも、ひとりにやにやしている貌がある。
図書館などで、大きな対面机に伏して本を読み、思わずにやけているところを他人に透かし見られて、慌ててしかめ面をしてごまかすことがある。
毎日が、病院だ、病気だとあっては、本来の、陽の八卦も塞ぐ。


スポーツ人間ではないが、スポーツは好きだった。
小さな会社の草野球ではライパチ君に引っ張り出されたし(人数が足らないので)、
子供の少年野球チームでは、親コーチに駆り出された。
50代の手習いで始めたゴルフはハンディ36のダボおじさんだが、面白くなって、そんなヘタッピーなのに毎週一人で出かけては、見知らぬ他人の中に入れてもらって、呆れられていた。
長嶋、王の時代は素直ではなかったので、夢中で興奮するということはなかった。
第一、ジャイアンツは好きではなかった。
地域的なものもあり、タイガース、カープ、いや巨人の相手チームを応援していた。
巨人は勝って当たり前のチーム、弱い小人が強い大人を倒すのが快哉なのだ。
令和の怪物、佐々木朗希も勝った。守備がよければもっと勝つ。


青年時代は反骨、壮年時代は中庸、老年時代は許容、であるか。
「であるか」は信長の口癖、一瞬に理解して、一瞬に切り捨てる。


メジャーではヒデキマツヤマ、ショウヘイオオタニ、が活躍していて溜飲が下がっている。
決してアメリカ嫌いではないが、アメリカが負けると喜んでいる。
それにしても、あれほどこっぴどく叩かれた国アメリカに、日本はどうしてしっぽを振るかのようにすり寄って行ったのだろうか。
降参したふりをして、いつかは反撃してやる、そのポーズでもなかった。
一国の舵取りをする総理大臣になると、「国民の命を守る」が金科玉条になって、原爆を落とされても、終戦のためにはやむを得なかったと、相手を非難しない。
当初は、農家産まれの苦労人だというスガッチーを許容して、巧言令色鮮シ仁、のアベッチーよりは愛おしく思っていたが、どちらも似たような腹黒タヌキだとわかった。
そんなところで、気難しい顔をしてひとりにやけている、自分であることに変わりはない。
今日もまた、アサー、になった。
妻の手術日が早まって、月曜日31日になったと整形から連絡があったが、すべてを受け容れているので、特に記すこともない。


写真は、再び長谷大仏