ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

告白は懺悔と同じ穴の狢

2021.05.18 妻との会話は、姿が見えないだけに、毎度要領を得ない。
靴を履いたまま、痒い所を掻くような、もどかしさがある。
「何か変よ」
「何が? 体調が悪くなったの」
「それがよくわからないの」
「身体でないのなら頭がおかしくなっているのじゃないか」
「そうかもしれない。何か変なの。あっ、看護士さん、来たから切るね」
「明日行く、お茶を持って行く」
それで電話が切れた。
後追いがあるかと、しばらく待ったが、鳴らなかった。
先週木曜日の訪問の折、病棟内の相談室で医師たちからの説明を受けた後、
「ちょっと本人の顔を見させてもらってもいいですか」
それに対する彼女たちの態度に、やや異変を感じた。
同じフロアに、妻の病室はある。
たぶん、20歩も歩けば、妻の顔がそこに有るはずだ。
「今は側に立つことはできません。ビニール越しにしか会えません。会話はできないと思います」
何か大きな変化があったように聞こえた。
どんな防備をしているわけでもない、外部からやって来た自分に会わせるのは危険な状態なのだろうか。
テレビなどで見る、コロナ患者のような扱いに妻はなっているのか、在宅療養に移ったときの細菌感染を医師は一番危惧していた。
今日訪問したときに、そういった心配事が払拭できたらいいが、たぶん、ムリな願望であるような気がする。


MURAGONブログを見ていて、感じるものがあった。
自分のWEBページの案内文、「秘密の書斎」→「露悪な書斎」、に訂正した。
インターネットに載せた段階で、すでに個人の秘密ではなくなっている。
露悪に徹していくと、快感のような陶酔を得られる、と聞く。
告白は懺悔と同じ穴の狢、である。


写真は、伊勢漱ぎ川