ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

おそらく大長編小説にも負けない

2021.03.01 新しいメンツが登場してきた昨日の記事で、小説なら筆を措くのが正しいが、このブログはそのために書いているのではないので、まだまだ続く。
1月、2月の投稿、一日40字×20~30行を心がけたので、原稿用紙換算で平均二枚半、60回ほど書いているので、約150枚。
思えば、パソコンに向かえば毎日書けるのに、我ながら驚く。
介護日誌、毎日同じことの繰り返しの日々、重複しないようにと心がけ、一週間も書き連ねれば種が切れるかと思っていたが、なかなかどうして見捨てたものではない。
今では小説を書くよりも、こちらの方に重心が移っている。
なにより、妻が自分の妻であった証を残してやらなければならない、との思いがある。
友人の一人から言われたことがある。
「奥さんを小説に書いたら?」
それは27歳の若さでリュウマチという不治の病に侵された女の物語。
島尾敏夫ほどの才能を持たない自分が描けば、どうしても主観が入りすぎて、たぶん「同情するならカネをくれ」式になってしまう。
そうならないために「柳町婦人」などという凝った表現で小品を書いたこともあるが、そんなものが何かの微力になるものでもない。
このブログ、妻の介護が終わるまでを続けることができたら、もしかしてあと10年も続いたら、10000枚の分量になり、それはおそらく大長編小説にも負けない、一つの力になるだろう。
それを信じて、今日からまた新たな気持ちで書いていきます。
ちなみに、今現在、WEB上に37回D賞の予選結果は発表されていません。
その結果を知って、今日はブログをアップするつもりでしたが、その報告はまた後日にします。


手作りwebサイト