ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

昭和天皇崩御のことを思い出した

2022.01.07-2
今日のsentoporiaさんの記事で愛子内親王、夕方のテレビニュースで佳子さま武蔵野御陵参拝、そこから昭和天皇崩御のことを思い出した。
1989年1月7日、自分の44歳の時だった。
その日の新聞記事、週刊誌を保存していた。
いつの日か、それを振り向く時が来る、そんな想いであったに違いない。

そこまでのフラフラしたサラリーマン生活から、一念発起、自営業の道に跳び込んだばかりだった。
どんな成功の道すじも、頼りになる後援者があったわけでもなかった。
まだ就学前の幼子が二人居た。
商売は、自営業は、ただ自分のやることを肯定しなければ、一歩も進めない。
作家は、物書きは、たいてい自己否定から出発して、新しい自分を発見することから始まる。
自分のことは後回しで、とにかくがむしゃらに生きて行くしかなかった。
そこから、30年を経て、ようやく文章を書くことができるようになった。
昭和が遠くなり、平成が去り、令和の世になって、早や4年になる。
弟宮が兄天皇を押しのけて天位に座るような時代にはもう至らない。
皇嗣弟宮の長女である眞子内親王が、自由恋愛の末に日本を去ったというのも驚くことではない。
自分の中では、あの昭和天皇の威厳を以って、天皇は変わられたと思う。
人間天皇と宣言しなくても、昭和天皇のラストラン、もぐもぐとして語られていたご様子は、誰よりも人間らしかった。
その姿を国民に見せた、メディアは今、以って瞑すべしだと思う。