ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

1パーセントほどの夫の怒声

2021.03.31 妻の就寝の「お休み」の響きは、オブラートで包んでいる粉薬の擦過音のように、いつも揺れ動いて聞こえる。
「おやすみ」ではなくて「おやひみぃ~」と息絶えそうな声である。
鼻腔から酸素カニューレを装着しているので、その流入のせいでか、咽喉から押し出されようとする声と衝突して、かすれ声になっている。
今にも死にそうな弱々しい発声だが、いつもがそうというわけではない。
「ありがとう」とか「すみません」も大きな声で言おうとすると、
「ありがたぉ~」「すんまひへん~」の叫び声になるのは仕方ないとして、とっさに思いついたように口を突いて出る言葉は逆に「あ・り・が・と」の短いドスのきいた低調音で、こちらの場合、一瞬、一呼吸呑んで顔を覗き込むことになる。
また、「お世話になります」と妙にゆっくり発声されると、これも考え込む。
この夜は、車いすからベッドに移動させる際、足先の痛いのもあって、自力で踏ん張ろうとの姿勢を見せないので、
「重い!」とつい声に出した。
その後、いつものルーティーン、ベッド上の体勢を直し、BOXティッシュを腹の上に乗せ、空袋を桟に取り付け、お腹周りの紙おむつの接触面にクリームを塗り、足の甲に別のクリームを塗布して指の間に綿棒でまた別のクリームを塗る。
尿管のねじれがないかを確認し、酸素数値を2にして、それでお仕舞。
「お休み」の声をかけて、ベッドから離れる時に妻が言った。
「お世話をかけます。ありがと。オッケー、オッケーですわよ!」
はしゃいでいるかの、オッケーは、妻の何を表しているのだろう、
身体の不自由さを自覚して、それを夫が補助介護している、そんな一日が終わって、今から誰の世話にもならない、誰にも邪魔されない、自分だけの睡眠タイム。
1パーセントほどの夫の怒声を感じ取り、それも消化した、オッケー、オッケーであったのだろうか。
リビングの明かりを落とし、台所の電灯のみの薄明りにして、二階の寝室に向かった。