ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

モノクローム映像を文章に転換して

2021.03.21 日々、変わり映えのしない、モノクローム映像を文章に転換しても、只、中だるみになってしまう。
デジカメがある。
文に色を付けて見せるには、写真が一番手っ取り早い。
妻の室内での挙動を、何枚か写真に撮ってある。
親戚兄弟にも、ここ数年の妻の姿を見た者は居ない。
このような晩年であったという、アリバイのつもりでもあるし、顔の写真は遺影にも使える。
それをここに載せれば、まったくすべて解決して、迫力のあるひとりの女の現在が表明できると思うが、問題もある。
痩せても枯れても、妻にもプライバシーというものがある。
妻の了解なしに、写真をアップするわけにはいかない。
夫が何をしているかに関心の持てなくなっている妻に、誰が見ているかもわからないネット社会に、画像を拡散するわけにはいかない。
また、人が見て、楽しい写真でもない。
学術写真なら、まま見ることができる。
テレビの報道番組で老人ホームなどが映し出されることがあるが、製作者側がどのように寄り添っていても、あれは写される側には白日の凌辱映像に他ならない。
被写体が、「諾」と言っているはずがないからだ。
それでも映像は残さなければならない。
百聞は一見に如かず、の力には敵わない。
一瞬で表せるものを、ヤレヤレ、1時間2時間かけて文をひねり出す。
昨夜もベッドに横たえるときに、「痛い」と何度も言う。
痛み止めを飲み、抗生物質を飲んでも、妻の足の痛みはまったく改善していない。
足の指先が皮むけのように赤くなっている。
塗り薬をするとき、そこも塗ろうとして、飛び上がられた。
何ということだ!
いつになったら、痛みは消えるのだ。
「あなたももういい加減にこんなわたしは厭になっているわよね」
と言われてしまえば、そういった態度も出る時もあるので、
「仕方がないだろう」と笑ってごまかすしかない。
モノクロなら、映ってはならない箇所は、影にしか見えなくしてくれる。


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