ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

「マッセ!」と義兄弟たちが出迎える

2021.03.20 皿洗いは当初から、夫の役目だった。
男子たる者、厨房に入るべからずは、昔の堅苦しい旧家のしきたり、
入浴もまずは将来の大黒柱から始まって、うだつ、鴨井、障子の桟の順に入り、
家の中で最もしんどい役目をこなしている、オクド、お釜は後湯を使った。
つい75年も前までは、日本は神風の吹く、男尊女卑、の国。
戦後20年、東京オリンピックの開かれたころまではまだその風潮が強かった。
大臣がつい口をすべらせてしまうのも、彼らの育ちがそのようであったから。
故郷のひなびた生家も、その真似事をして、やっと生まれた男子がまずは一番乗り、
姉たちが口をそろえて、
「ずるい! わたしたちはいつも後につづく……」
お彼岸お盆などの年行事で皆が集まった、今は昔の話で、そのようなことを言われて頭を掻いたのを覚えている。
多くは神道の、清浄を尊ぶが故の、行きすぎた考え、
どこを通って、アマテラスは産まれてきたのでしょうかね。
食器洗いはもちろん、洗濯干し、掃除掛けなどの、男子たる者……を主張する者は、妻の伴侶には選ばれなかった。
選ぶ権利は新婦側に有る、これは新婚アパートにやって来た友人の一人がもらした感想、
どちらにもこそばゆい、たぶんに使い古された褒め言葉の「美女と野獣」だった。
男の方が見栄えが悪いと、たいていの女は美女に見えるもの。
今でも記憶している。
「どんな魔法を使ってうちの娘を誑したの?」
挨拶に訪れた婿になる男に、義母が思わず洩らした言葉、それが正しい解釈というもの。
今日ある、将来の自身の姿を見据えて妻が出した答えが、たぶん自分という男を選ばせたのだろう。
そしてそれは正しい選択だった、あの世の義母も娘の慧眼に納得している?!
山を切り開いた、石段の上り下りをしなければ父母の墓所にたどり着けない、
そのことを嘆いていた妻も、今はお彼岸参りの話題に乗ることもない。
塩垂れた遠地の小さな診療所に入院するしかない貧乏人の娘と思っていた妻が、
荒唐無稽な小説物語のような、数千坪の屋敷の豪邸の娘であった、
あるいは、小さな花売り店の娘の里を訪れると、「マッセ」と義兄弟たちが出迎える、ゴッドファーザーの家の娘であったという、そんな楽しい思い出を、
食後の皿洗いをしながら、考えていた。


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