ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

「いらっしゃいまっせ」の歓迎の「まっせ!」

2021.03.22 長男にくっついて家にやって来たジュエが、妻は可愛くて仕方がない。
夕食時には、必ずおすそ分けをして、口に入れるやすぐにマットの上に行ってしまう、
右目が見えないために、
「ジュエ、ジュエちゃん、どこに隠れているの?」
と声に出して、居場所を指摘されても、そちらを見るでもない、この家に長男やジュエが居ること、それだけでいいのだ。
通常なら、長男の嫁とか、孫とかが一緒に住んでいる景色、というのが最も理想的だろうが、それは現況では叶わない。
ジュエは、それらの不在を感じさせない、それらのすべてを兼ね備えている。
老夫婦二人きりの、傍目にも実態にも色のない暮らしに、鳴き声と動作でこの家の空気を一変させてしまった。
ペットというものは偉大なものだ。
妻の足が「痛い」を除けば、退院後の暮らしの中で今が一番、穏やかな顔になっている。
長男は密な連絡をして来ない不孝者だが、両親が生存していることは忘れていなく、
突然にふらりと電話をして来たかと思うと、
「ああ、オレ、明日帰る、カノジョを連れて行く」
そうやって、この十年に、三度ほどカノジョを連れて来たことがある。
あれはどういった親への紹介であったのか。
結婚しようと考えている相手だったのか、
それとも口には出さないが、結婚を待ち望んでいるだろう両親に安心させようとして仕組んだ心尽くしであったのだろうか。
女の子たちも、どういった考えで男の家にやって来たものだろうか。
たぶん、結婚する相手なのだろうと、妻も張り切って料理を作っていた。
三回とも別々のカノジョで、当然一泊して、帰って行った。
妹がその頃は家に居て、
「当然、結婚する相手なのでしょ。泊まって行くんだから」
と、なぜだか渋面をして話していたのを覚えている。
今頃の女の子の気持ちはわからない、ではますます老けてしまう。
わかる努力をして行く、が必要な老後の要件だ。


※3/20の「まっせ!」と義兄弟たちが……の「まっせ!」は「らっしゃい!」の方がよかったかも。どこの国の言葉でもない日本の「いらっしゃいまっせ」の歓迎の「まっせ!」です。


↓鳥にナル