ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

一人では人間は生きられない、

2021.03.16 いっときの騒擾気分が鎮まると、次は反省、沈思黙考、の順番となる。
宴の後の寂しさ、楽しければ楽しい分だけ、反動がやって来る。
元の位地に戻っただけであるのに、上気した気分の量だけ下方に沈んで行っている、錯覚がある。
すきま風が吹く、あとの祭り、とも云う。
しばらくして、
ケセラセラ、なるようになるさ、その気分になったときに、やっと元の自分に立ち帰ったことを知る。
決してイヤな一時であったはずもなく、その証拠に、次の高見を目指そうとする自分が居るのを発見する。
有名な「そこに山があるから、Because it`s there」ジョージマロニーの言葉ではないが、
「そこに妻が居るから」
「そこに子供たちが居るから」
「そこにジュエが居るから」
「そこに友人・知人たちが居るから」
「そこに見たことも会ったこともないブロガーたちが居るから」
「そこに八百万の地祇が居るから」
「そこに本があるから」
「そこに鳥獣草木があるから」
を気取るのは、決して悪い冗談ではない。
なにしろ、一人では人間は生きられない、のだから。
音声を発するのも、言葉を遺すのも、最初は自分に向けられているが、いつしか他者に向けられているのに気づく。
うしろ向きに独り言をつぶやいて、自身を納得させると、次の一歩は、前向きの姿勢になって歩こうとしている。
それが、普段から変わらぬ、自分の有り様です。
Because it`s there、それを日本語で「そこに山があるから」と案した翻訳者は素晴らしい!


それにしてもにほんブログ村のランキングはどんな仕組みになっているのだろう。
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