ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

そうやっていつまでも痛みの消えない

2021.03.13 病院の広い廊下の端に席を求めて、電光掲示板に受付番号の出るのを待っている間中、ちょうどT字になる皆から姿の見えぬ処から、大きな声が聞こえていた。
車いすであるために、通行の妨げにならぬように、いつも離れた場所に席を求める。
この日もそこの端に腰かけていたために、列の誰よりも声の主に近い。
それは何か、コントロールの効かない、脳内の乱れによるものだろうが、なんと発声しているのか耳を澄ませても、言葉ではない、荒い吃驚音のようなものとしか聞き取れなかった。
そのような状態で、一人で来ているはずがないのに、声の主に対するどのような宥声・抑声などもないのは、或る意味、毅然とした同行者の有り様に思えた。
荒い呼吸音しか出せない者に、呼吸をするな、と言えるものではない。
耳の遠くなった妻にも聞こえているだろう大声だが、知らぬ顔で目を閉じている。
考えれば妻の姿も、車いすに乗って、鼻には管を通し、腰にも何かの管が繋がっている、その上にズボンの片方はぶらぶら宙に浮いている、有様だ。
病院内では珍しくもない光景だが、三つ揃っている患者はやはり少ない。
それを押している同行者のマスク顔の顎からは、通路の押し黙った空気を振り切って白髭が靡いている。
年寄りの、ダンディズムのつもりで、無職となってから気取っているのだ。
妻は朝から、点滴入院になるかもしれない心配ばかりして、入院生活に必要な物資の用意をせっかちに求めた・
「まだわからない。入院となっても今日すぐのことではない」
と話しても、うまく納得できないでいる。
順番を待っている間も、その心配ばかり口にして、叱声しないまでも話し声が大きくなるのを抑えさせる。
いつの間にか、姿の見えなかった荒い声の主が消えていたころ、電光掲示板に受付番号が表示され、診察を受けた。
血液検査の結果は数値が下がっており、妻の期待? に添えない、通院措置となった。
そうやっていつまでも痛みの消えない、日々がつづいて行くのだろう。


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