ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

老兵は死なず、ただ去るのみ

2021.03.10 今日は水曜日ということで、昼間、妻の手から離れて自由に行動できる日。
いつもは夜10時過ぎに就寝、たいてい朝4時に目が醒めて、パソの前に向かう。
そこから6時半に階下に降りて、先に自分の朝食、トースト・牛乳・バナナ・ヨーグルトを食べ、妻を起こすまでの2時間が、もっとも集中して頭が働く時間になっている。
その時間に、このブログもいつも書いている。
しかし、今日はいつもと勝手が違った。
深夜に目覚めて、どうしても寝付けない。
ペットボトルのお茶を飲んでトイレに行く羽目になり、ジュエが気づいてワンと鳴き、そっと一階に下りて何か胃袋に入れようと冷蔵庫の中を開けてトマトの切れ端が残っていたのでそれを食べて気持ちを落ち着かせたが、その後もベッドで横になっているのみで頭は一向に眠ってくれない。
最初が0時過ぎだったから、結局2時間ほどの睡眠しかできなかった。
妻の世話に倦んでいるわけではないが、毎週水曜日はフリーになって、どこか居場所を変える習慣になっている。
予定を立てずに家を出るのが、最も良いリフレッシュ方法。
ところが今日は予定を立ててしまったために、たぶん遠足に出かける児童の興奮になってしまったようだ。
一睡もしなくても倒れることはないが、楽しいはずの遠足が些細なことで不快な不機嫌モードになりそうな予感で、困っている。
人と会うのは楽しいが、僅かな行き違いで、気持ちが萎える。
気持を奮い起こさなければ、楽しめないでは、それはもうムリ篇になる。
おじじになって、気持ちに余裕が無くなった。
人に対して優しく振る舞えなくなったら、もう「老兵は死なず、ただ去るのみ」だ。
それが、年を経るということの、寂しさだろう。
ムリをして出かけるまでの、ことはない。
いつの間にかムリをして、空元気な自分を見せようとしていた。
向こう横丁のタバコ屋の、看板娘から笑顔が消えても……、
そんなことを考えて眠れないようでは、気持ちに余裕がなくなった証拠だ。
ただ、今日もまた陽は昇る。
予報では熱い一日になる、とのことだから、せめて熱男になって街に出かけよう。


手作りwebサイト