ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

くしゃくしゃになった印刷文字が

2021.03.09 顔をくしゃくしゃにして笑う、という表現がある。
くしゃくしゃとは、紙をくしゃくしゃにする、が一番わかりやすい喩えになる。
それも印刷文字の入った、新聞紙や雑誌を丸めてポイしたときの様子が、もっともその状態を示すのに適している。
白紙を丸めても中身は無地のままだから動きようがないが、印刷した紙を丸めてポイすると、中身の文字が圧された反動で蠢いているのがわかる。
妻はそのようなくしゃくしゃの顔をして、目も鼻も口もすぼめて笑う。
一気に、笑いに落ちる。
どんな時にと想い出そうとして、今ここで思い出せないが、それは決してテレビの「笑点」を観ている時や、バラエティ番組のお笑いシーンなどではない。
思うにそれは、何か失態をやらかしたときに見せる、一瞬の破裂のような照れ笑いで相手との距離を縮める、方法でもあるような気がする。
抱え上げて落としそうになったときや、ルーティンの順番を間違えたときや、ジュエを呼んでも知らんぷりをされたときや、そんなときに妻と顔を見合わせると、それこそくしゃくしゃのくしゃくしゃになって、返して来る。
声を上げて大笑いするのではない。
のどを詰まらせて喘ぐのでもない。
顔の造作が一瞬に崩れて、伎楽・舞楽のような媼の面になる。
妻の失態ではない、自分やジュエの失態である。
それを見て、猿も木から落ちる、のかと分かって笑うのに似ている。
あれはどこから来る、笑いだろう。
考えれば、このブログを書き始めた最初のタイトルが「よく笑うようになった」だった。
くしゃくしゃになった印刷文字が、ゆっくりと時間をかけて元に戻ろうとするのは、見ていて「頑張れよ」と声をかけたくなる、この家のいつもの阿吽の呼吸である。


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