ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

キウイに食中りしたんだよ。

2021.03.07 ジュエと妻の掛け合いを見ていると、まったくかみ合っていないのにどこか微笑ましい。
妻はいつの間にか右目を失明していて、左目も視力不足を嘆いていたが、昨年白内障手術してよく見えるようになった。
その右目が見えなくなったことに、長く気づかなかった。
「自転車に乗った人が通って行った」
「誰かそこに居るみたい」
「お義母ちゃんに会った」
など、時々不明なことを呟いていたが、特別に気にも留めなかった。
60歳ごろまでは自分の車に乗り、午前中は会社の経理事務にやって来ていた。
ただ、その運転の仕方に、大いなる疑義を感じていた。
ハンドルは握るのではなく、ただ両手を添えているだけ、
ブレーキ、アクセルの踏み方も、咄嗟には間に合わない、ゆるやかな動作だった。
何らかの用事で送ってもらい、同乗したときに、その緩慢さに驚いた。
「危ないな。運転は止めた方がいいんじゃないか」
「家に居ても退屈なのよ」
その頃はまだ障害者手帳を貰っていなかったが、よく免許書更新ができたものだと感心する。
警察署の適格審査には甘い抜け道がある。
名前を呼ばれてすぐ立ち上がれないので、長椅子には腰かけず、立ったまま待つ。
視力検査器に顔を近づけるが、極力、手指の変形は見せないようにする。
「右、左、上、下」は前の者の答え方から、ある程度提示される順番を覚えておく。
そんな内幕を話して、何事でもないかのごとく、それで合格した。
会社を畳んだのを期に、運転させないようにし、スーパーの買い出しにはいつも乗せて行くようになった。
いつしか車いす生活になっていたが、大阪のオバサンの気丈さは変わらない。
ポンポン言葉は出ていたが、最近は少なくなった。
「ジュエ、どこに行ったの?」
足下にちょこんと座っているのに、見えないから呼んでいる。
ジュエは知らんぷりをしているが、離れるでもない。
キウイの欠片をやり、しばらくおとなしくしていたが、突然脱兎のごとく走って、普段は上らない階段を昇って、主人の元へ行ったようだ。
「キウイに食中りしたんだよ。それで快(長男の名前)に訴えに行ったんだ」
そんなはずがないと思っているから、「ジュエ、ジュエちゃん!」と力のない声で呼んでいる。
朝のテレビで、3.11大津波の映像が流れている。
忘れることのできない。消えることのない、深い悲しみだろう。


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