ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

食事のあとの歯磨き・顔拭き・薬…

2021.01.06 食べ終わった食器類を流しに運んで行き、じっと待っている妻の用事から始める。
このときの姿勢がまだカーテンを開いていない窓に向かって、車いすの背に凭れてまんじりともしていない横顔であるのに、何ということはないが、何ということでもあるように見える朝の景色ではある。
習慣であるので、食後必ず歯磨きをするということはきっちり理解しているが、歯ブラシ、チューブ、すすぎ水、などの単語は出ない。
自らはすすんで何もできないので、人任せにしていると言葉も出て来なくなるのだ。
顔を拭くという行為は解っているが、タオルという言葉は出て来ない。
考えると、そのような単語は自身で行なう時は一々口にしたものではなかった。
勝手に手が動き、足もその場に運んでくれる。
「これは何?」と聞かれるまでもなく、人はその物の意味を理解して行動する。
昔の主人が、
「おーい、お茶」「おーい、飯」「おーい、新聞」と声を挙げれたのも、あれは動けない
のではなくて、ただエラそうにしていただけ。
同じように見えて、こちらは声を上げるということを忘れているようだ。
しかし、薬の服用に関しては、実に理解が浸透している。
最近(数年前)までは、その名前、効能を実によく知っていた。
縋るのは、医師の言いつけのみ、が徹底している。
封を解き、一粒ずつ箱に入れていくと、何か頭の中で服用の順番が決まっているのか、
形と数を確認しながらラク薬ゼリーと一緒に飲んでいる。


今日は朝9時に
リハの理学療養士60分、12時にヘルパーが60分、3時にヘルパーが30分、
やって来ることになっているので、週に一度の昼間フリーの日です。
コロナであまり街をうろうろするのも考えものですが、三月ほど前から、精神衛生上、いろんな刺激を受けないと介護鬱になる怖れがあるとのケアマネの助言に従って、書を捨てよ、街に出よう、になってから、たしかに肩こりが治ったような気がします。