ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

初とは目出度いことの表れです。

2021.02.01 新しい月の初日です。
なんであれ、初とは目出度いことの表れです。
初日、初詣、初見、初潮、初夜、いずれも祝い事に使われますが、初老、となるとハレというよりケの日常なのかもしれません。
初老の男、というと矍鑠とした清々しいイメージが浮かばなくもないが、やはりそこにはどこか老い往く者のそこはかとなくうらがなしい、うしろ姿が浮かぶ。
初老どころか、後期高齢者と呼ばれるようになってはお仕舞です。
誰が言い出したことなのか、後期高齢者とはいかにも後がない、を言い表していて、優しい言葉のようでいて残酷な物言いです。
後期高齢の次には終末しかないからです。
とはいえ、そんなことを朝から想っていたわけではありません。


また陽は昇る、The Sun Also Ries
夜明けの来ない朝はない、There is no morning without down
トンネルを抜けると……だった、Through the tunnel ……I found it Hope


と気取って見た。
先人はいいことを述べている。先人の知恵に学びながら、2月1日の朝を迎えた。
一人では起き上がれない妻を起す、簡単なことですが、車いすに乗せて姿勢を正すことをしないと血が滞留して全身のいたるところに床ずれが発生し、命取りになる。
人間の身体は起ち上がることですべてが順調に動き出す。
寝たきりでは、あれは心肺が動いているだけの、人の形をしたトルソーにすぎない。
妻はまだそこに至っていないのを、幸せだと思わなければならない。