ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

遠くを見る目は何想う

2021.01.26 テレビをよく見ます。
妻はすることがないので、朝食の時間が終わると車いすに乗ったまま、たいていテレビのお守をしています。
正面のガラス越しに、毎日のようにやって来る、庭の木々(5本ほど)の合間に飛び交う、メジロ・シジュウカラ・ムクドリ・ヒヨドリなど見つけると声を上げて気を紛らわせています。
二年も前までは車いすに乗って近所廻りを散歩に連れて行ったものですが、現在はほとんど家の中の暮らしになってしまった。
7時に起床、8時にテレビに向かい、10時にベッドに移動、12時に起して食事、2時にベッドに寝かせ、3時半に起して「相棒」を見ています。
ヘルパーや看護士、入浴カーなどがその合間にやって来て、外部からの刺激を貰うようにしています。
5時に30分ほど休憩のベッドに横たわり、夕食の準備ができる6時過ぎに起してずっとテレビを見ながら、世間の様子を知ることができますが、その場のみのインプットです。
日曜日は年来、「笑点」「番記者」「ダッシュ村」とみて、そのあとNHKの「麒麟が来る」に切り替わる。
明智光秀は貴高き武者、秀吉は下賤の武者、に色分けされて描かれていますが、あれはあのとおりで、その逆はない。
秀吉は下賤の者ゆえに、下賤の者に厳しく、光秀は気高きゆえに、下賤の者に優しい。
信長は、貴も賎もなく、その時々に役立つ者は上に立て、逆らう者は容赦しなかった。
本能寺がどのように描かれるのか、ネット上では喧しい。
過去の本能寺は「信長公記」にほぼ沿って描かれてきたが、今回はどのように描かれるのか、楽しみです。
歴史にもしはないが、人生50年からあと10年生きて「信長麒麟が来る」になっていたら、日本に鎖国はなく、西の大英帝国のような、東の大ジパング帝国が生まれていてだろうと思う。
徳川の世の階級制度はなく、能力主義の万民の世の中になっていただろう。
糟糠の妻と、そのような呆け話ができないことをやや残念に思った。


例によって、小説「大菩薩峠」のつづきです。