ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

行方不明者のお知らせと発見のお願い

2021.01.24 住んでいる所が、昔の武蔵国と相模国の境になるので、それで境川とも呼ばれているのですが、どちらもの市民放送が聞こえてくる。
以前はよく行方不明者のお知らせと発見のお願いの拡声器が流れて来ていたような気がするのですが、最近はめっきり減ったように思います。
コロナで、行方不明者になる徘徊老人も自粛しているのでしょう。
あれは歩ける足を持っているから、徘徊するのであって、歩けない者は家の中でじっと待っているしかない。
5年も前になるでしょうか。
夏の太陽が高くなる前に庭の草取りをしていたら、一人の見知らぬ、多分同年代の男が突然現れ、「水を下さい」と息せき切っている。
妙な感じがしたが、断る理由もないのでカップに一杯の水を差し出すと、一息に飲んで、
「もう一杯下さい」
それで、この人はおそらく少し認知症になっているな、と気づいた。
自分の事しか考えられなくなっているからです。
立ったままでは落ち着かないだろうと、縁側に腰掛けるようにすすめると素直に従った。
「どこから来られたのですか」
「ヤマトです」
「ヤマト? 大和市?」
「ええ、〇△です。山王公園に出かけて帰りの道が分からなくなった。この近くに山王公園はありますか」
「ありますが、大和の山王公園ではありませんよ。ここから大和市まではたぶん20キロはありますよ。それを歩いて来られたの?」
夏の朝だから夜明けは早い。
夜明けて散歩に出かけ、それで道を失い、たぶん境川沿いの遊歩道を一目散に歩いて自分の家を探そうとしたのだと思った。
その頃にはまだ元気であった妻も外の様子に気づいて顔を出し、
「たぶんお腹が空いていますよ。大和から何も食べずに歩いて来たのでは腹ペコのはずです。パンとコーヒーでよかったら、今から用意しますけど」
どんな遠慮も無く、出されたパンにぱくついている。
名前と住所・電話番号を記したカードを持っていて、たぶん家族の名前、
「××子に迎えに来るように連絡して下さい」
そうもいかないだろうと考え、結局警察に連絡すると、しばらく待たされて、家族から行方不明の届けが出されているとのことで、すぐにパトカーがやって来た。
「××子にお礼を言うように話して下さい」
辞退すると、警察官の方で子細の報告の義務があるとのことで電話をつながれ、ていねいな平身低頭の礼辞を受けることになった。
あのお方は、今、どうなされているだろう。


写真は大菩薩峠の霧の山です。