ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

空に名月、深夜に粋な呼び鈴が鳴った!

2021.09.24
21日午前1時半、新大阪駅APAホテル25階からの眺め、空に名月が浮かんでいた!

その時刻、窓の外からノックして、空に名月が浮かんでいることを教えてくれた、誰かさんに感謝!
旅をして、最初の夜は、高揚した気分と、いわゆる枕が変わって寝つけない、とよく言われる。
まさにそのとおりで、中々、眠れなかった。
それでもうとうとしていて、ふと何かがやって来た、誰かが自分の意識の中に入り込んできたような気がして、スマホを開けると、深夜の1時過ぎ、
そんな時刻に、どうして今頃と、次に思い当ったのが不思議でもあるが、窓のカーテンを開けると、「わおうッ!」の超絶景が広がっていた。
ノックしてくれた誰かさんも、その時刻、名月を見ていたのかも。
高層ホテルとはいえ、そちら側に部屋を取ってくれていなかったら、名月は見えなかった。
その意味では、APAホテルにも感謝。
宿泊客が少なかったのかも。


20日朝早くに家を出て、岡山真備の我が家の墓所にお参りした。

   

3年前の西日本豪雨で、真備町は水浸し、周囲の住宅地はほぼ二階近くまで床上浸水したと聞く。
田んぼの中のやや盛り上がった墓所とはいえ、当然そこも水の中、墓石の上部だけぽつんぽつんと突き出ている景観というものは、想像してみて、奇妙な静けさでもあったろう。
今回、実にきれいに整地清掃されていた。
タクシーを待たせてすぐに折り返したが、伯備線清音駅の時間がうまくない、急ぐ旅でもないのに、奮発して倉敷まで走らせた。

岡山駅前の桃太郎の写真は誰かさんのエールを思い出して、
この日、ハトは残念なことに、ほとんど姿が見えなかった。
その夜の宿泊、新大阪APAホテルでの出来事は、トップ記事の名月です。


21日も早朝から動き出す。
地下鉄で難波まで行き、近鉄大阪線で、高安で下車。
そこでタクシーを拾うつもりだったが、なんと駅前にタクシーがない。
仕方なく、一駅前の山本駅まで戻り、しばらく待って信貴霊園に向かった。
義兄の車に乗せられて行くだけで、そう頻繁に通ったわけでもないのに、記憶していたのは、妻がまだ元気であった頃に行く度に、その坂道に難儀したこと。
妻は最初の頃の数回しか、両親のお墓の前に立っていない。
自分が相撲取りほどに大柄で力持ちなら、車いすごと持ち上げて運んでやれたが、それも今は叶わない。
写真を撮ったが、名前を写さないようにするのに苦労した。
ただ、ご両親の故地の名前を碑に刻んでいる、それはそのまま隠さないのが、娘婿として当然の行いに思えたので、映像のままにした。

山本から大坂線、八木から西大寺、近鉄奈良からJR奈良駅まで歩き、
思った以上に疲れて、早めに投宿、温泉風呂に入ってひと寝入り、
日暮れて宿の勧めた、串しカツ店に行く。
突き出しに出た、冷えた大根擦りとシラスの美味しかったこと、
適当に見繕ってもらった大将メニュー、
カツ、タマネギ、エビ、アスパラなど6本、
生ビールの中ジョッキをまたたくまに飲み干して、ハイ、御代わり、
こんな美味いと感じた夕食は、実に真にもって、久しぶりのことだった。


明日からは、東大寺から始めます。
大きな収穫がありました。
写真は、スマホ自撮りのおどけ爺さん