ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

この日、或る事実を発見して、今回の旅の目的はほぼ果たした。

2021.09.25
パソコンから4日間離れただけで、眼のかすれ度合いが良くなった。
毎日、パソコン画面に向かっていて、視力が落ちているのを感じていた。
少し暗いだけで、キーボードの文字を拾うのに苦労する。
ブラインドタッチなど、年経て覚えた者に易々とできる芸当ではない。
何時の頃からか、運転免許証に条件が付いたので眼鏡をかけているが、元々視力はそれほど悪くない。
文庫本の小さな文字も、裸眼で読めるし、遠くの星も見える?
かすむようになったのは最近の事だ。


22日は朝一番に、東大寺に向かった。



JR奈良駅のそばの旅館であったから、起点はいつもそこから。
バスに乗って、近鉄奈良を過ぎて、東大寺前で下車。
多くの鹿が迎えてくれる。
本やテレビ番組などで知られている光景だが、途中の道路脇、車道の真ん中の分離帯の中にも姿が見られる。
馴れたもので、青信号になると、人を先導するかに渡って行く。
鹿に糞場を教えようもないから、至る所に黒豆が落ち、踏まれて貼り着いた糞跡がある。
臭いはしないが、よそ見をしていると、間違いなく靴の裏に奈良の土産がくっつく。


小学生の修学旅行は、奈良と決まっていたから、東大寺の大仏殿、柱くぐり、などしたはずだが、まったくそんな記憶は残っていない。
高齢者になって、飛鳥は何度も訪れたが、どうしたわけか奈良にはあまり関心が湧かなかった。
荘厳な神社仏閣というものに、素直になれない自分が居るのを知っているからだろう。
今回、その荘厳さの中にどこまで入り込められるか、それが旅の目的だった。
独りでなければ得られない、似たような一人歩きの高齢者・妙齢ご婦人などの姿がちらほら見られた。
それがわかるほど、やはり人出は少なかった。


午前中に、東大寺、興福寺と歩いて廻り、天気晴朗なれど、
午後から、薬師寺、唐招提寺と見ていて、急変、土砂降りの豪雨雷に祟られた。


この日、或る事実を発見して、今回の旅の目的はほぼ果たした。
当時の絵師・仏師は真実を見て、そのままを表現している。
大仏様の目は一重で切れ長、周りの侍仏衆は丸い眼、
後の鎌倉時代ではあるが、運慶の彫った仁王の目はギョロ目、
大仏開眼聖武天皇の目はどうであったか、
聖徳太子、天智・天武は、たぶん一重切れ長、
馬子・鎌足などは決して一重切れ長の目をしていなかったように思う。
これらすべて、自分の主観、史学者、時代考証家ではないので、事実誤認があっても許される、作家の勲章のようなものです。


鹿にまとわれたこと、広大な敷地に立つ御堂や塔の姿、若草山などの山脈地勢、などを肌感覚で得られたことで、自分の書く小説に魂が入れられたことを、自信を持って皆様に報告できます。


23日は平城京跡を午前中いっぱい歩いて、帰路に。