ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

悲しいニュース

2021.01.19-2
テレビで報じていたこと。
ヘルパーが訪問したら90代の主婦が動かなくなっている、との通報があった。
同居する60代の息子が殺したと話し、さらに90代の父親も死んでいるのが見つかった。
それ以上の事は分からないが、これは息子の嘱託殺人であるに違いない。
周囲が何を言おうと、その息子にはそれ以外の方法しか、自分が解放される道はないと思いつめてしまったのだろう。
両親を外部に、施設に預けることができたら、この悲劇は免れただろうがそうできなかった理由があったのだ。
たぶん、最後に両親の首を絞めたとき、彼はすべてのものに怒りと悲しみをぶつけていたことだろう。
そして、もう決して動き出すことはない両親の死体を前に、彼はただ茫然とするのみだ。


殺人者に、そのとき被告は心神耗弱状態にあり、正常な判断はできなくなっていたので、罪は問えない、無罪だ、との弁論がよくある。
ばかばかしい、有識者と呼ばれる、無責任な、もっともらしい専門家の意見だ。
人間は無量の叡智を積み重ねて、人は殺してはならない、と遺伝子的に刷り込まれている。
その箍を解いてしまったのだから、当然、そのとき彼は心神耗弱状態にあり、正常な判断はできなくなっていた、のは他人から指摘されずとも分かりきっている。
それでも息子は両親を殺してしまった。


ママンが死んだ。
養老院から連絡があった。
友人は「悲しいことだ」とおくやみを言ってくれた。
ムルソーは海岸に出て、そこで抗争をし、動かなくなった死体に数発の弾丸を撃ち込んだ。
そのことで彼は罪を問われ、神父から「君は盲しいている」と諭される。
彼は神父に、
「出て行け! お前に何がわかってエラそうに言えるのだ!」
ムルソーは今や人々から憎しみの絞首刑にされることを希望して哄笑する。


たぶんそんな内容の小説だった。
カミユ「異邦人」


上の60代の息子が、もし青年の頃にこの「異邦人」に巡り合っていたら、また別の選択、自分の手に余る両親を家に置き去りにして、一生償いの旅をして行ってくれただろうと考えて、彼のために涙を禁じえない。
彼は、殺人の方が置き去りにして逃げるよりは、罪が軽い、と思えたのだろうか。