ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

わたしはわたし、あんたはあんた

2021.05.03 一日に何回も電話をかけて来ていたのが、この数日間、まったくケイタイが鳴らない。
大した話でもないので、その都度付き合うのにやれやれとならなくもないが、入院疲れでその気力もなくなっているのかと、かえって心配になる。
蜂窩織炎、血流不足の原因で起こる、ベッド生活者には欠かせない寝返りが、自力では行えない、看護士の懇切丁寧な介助のおかげで、憂いも無くなっているのだろう。
足一本、容体が急変するものでもないので、便りがないのは良い便り、を決め込んで、しばらくは薄情な自分であろうと、努力します。
夫婦といえども、別人格、
わたしはわたし、あんたはあんた、
この「あんた」という呼びかけ、
「私は、あんたか?」と一時期、妻は呆れて笑っていたが、他の呼び方を知らない。
「おまえ」も「あなた」も自分には似合わない。
まして、妻に「おおい!」など呼びかけようものなら、「な~んです!」の代わりに100年の鍋窯が飛んでくる?
お互いに名前で呼ぶ時もなくはないが、それは他人に披瀝してはヤボというもの、すりすりするときも夫婦には必要なアイテムです。
ひと時代前の亭主、豪傑たちの
「おい、新聞」「おい、タバコ」「おい、飯」で済んだというのを見聞きするにつけ、
彼らは今の妻のような、身体不自由であったのだろうと、慮るばかりです。
その関白たちも、鼻の下を長くして、寧々に迫ったものでありましょうか、ネ!


面白きことも無き世を面白く、
写真は飛鳥の亀石