ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

1400年後の磐余の池を訪ねた

2021.05.02 今日も妻は、コロナの円環に隔離されているために、夫は昨日の、斑鳩から馬に乗って、の続きに向かいます。
古代は政争の坩堝だった。
対抗馬と成り得る者は、早めに取り除くしかなかった。
現代でも誓約は往々に反故にされる。
血のつながり、身内はかえって危険な存在に他ならなかった。
母親は実の姉妹、父親は、崩御したばかりのアマノオキノマヒト天武天皇、
大津と草壁、共に並び立つことのできぬ異母兄弟だった。
草壁の母(のちの持統天皇)から謀反を問われた大津皇子は


 ―ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠れなむ


と詠んで、首をくくった。
とても現代人には真似のできない、散り際です。
その情景をこの目で見たくて、1400年後の磐余の池を訪ねた。
むろん、そこが歌に詠まれた磐余の池であるかどうかは、わからない。
不思議な光景だった。
現代の建物が何も目に入らず、一帯は飛鳥時代の田園風景、これは自分の目が曇っていたせいに違いない。
見たくない景色は、視界から消えてくれる、奇特な性分に産まれている。
静謐万感の磐余の池と



むさ苦しい我が風貌、

只今現在の、色眼鏡で、過去の史績を見ていると鼻白まれようとも、
何も怯むことはない、何も足さない、何も引かない、
WEBトップページにドンと75歳の自分の顔を載せています。