ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

たとえばの話、斑鳩から馬に乗って、

2021.05.01 鞍上、古代の眺め
片道8キロ、往復16キロ、それがどのくらいの距離かと家に帰ってグーグル地図を広げていた。
眼前に広がるのは、奈良飛鳥地方の地形。
10年も以前になって、古代に意識が飛ぶようになり、現地踏査をするまでの格別の想いがある。
そこが自分の魂の故郷、ひまを見て、足を運んだ。
現代の建造物は透過して、地形のみを見ようとする、習性がある。
氾濫、治水で、川の流れは変貌しているが、山塊の形容までは人為は及んでいない。
山は動かない、動かせない、のです。
1000年、2000年の間に、この地方に陥没隆起が起こったとの事歴もない。
たとえばの話、斑鳩から馬に乗って、ウマヤトの皇子(聖徳太子)が中ノ道を通って、小墾田の宮まで通った。
その景色を想定するのは、楽しい。
すれ違う者の誰もが太子と気づいて、道端にしゃがみ込み、跪拝している。
太子は「やあ、君たち、畏まることはない。わたしは未だ至らぬ人間だよ」
片岡野のあたりで、太子は乞ヤセル旅の老爺の斃れているのを見つけて、その背に着ている羽織をかけて去る。
帰途に見ると、旅の老爺の姿はなく、羽織のみがきちんと畳んで置かれていた。
「やあ、今朝ほどの乞ヤセル旅人は聖であったのか」
当時の馬は大陸から渡って来たばかり、モンゴルの草原を子供が駆け巡れるような、胴太、背低、の小さな乗り物だった。
サドルを高くしたママチャリの眼下の景色と、さほど変わりはない。
ゆっくりと進むと、まるで太子の目の高さと同じ、気分になれる?
午の前に出勤し、午の後に帰宅する、現代の距離法で往復40キロほど。
病院までの往復16キロの道程であったから、家に帰ってもう一度、竹筒の水を飲んで、ママチャリに乗って行こうかとする元気さはまだ十分に有る。
自転車に乗って行く、新しい発見です。