ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

イノチの洗濯、サツキ晴れ

2021.05.04 数日前から、庭に一本植えてある、八朔の木に白い花が咲き始めた。
すでに小さな緑の実がついているやつも有る。
昨年は大きな実があらわになるまで、気づかなかった。
店頭で並んでいるような、大きなものが12個も採れた。
それまで偶の年に数個成ればいい方だったのに、どうしたわけか、今年も沢山楽しませてくれそうだ。

天気がいいので、プランターの世話もしていった。
トマト、ナス、キュウリはやっと茎がしっかりしてきたばかり。
4月の終わりの日曜日に種豆を植えた、さやえんどうが密生してきたので間引いたついでに、せっかくなので空いているプランターに移植した。
引き抜くと毛根が切れるので、手スコで深く掘り起こして、二倍の苗床になった。
この間隔だと、もう一度間引かなければならないかもしれないが、それはそれでまたの楽しみになる。


さらに、スーパーで買った小ネギをきざんで、その根元を土に埋める。
すぐに伸びて来るので、何回も小ネギは切り取って食べられる。

元々が百姓の生まれなので、土に親しみを感じている。
現在は百姓に「お」を付けて「おひゃくしょうさん」と呼ぶようになっているらしいが、とってつけたようで、コソバユクもあるが、聞きなれると、そんなものかと納得する。
昔の、水飲み百姓まで「おひゃくしょうさん」と呼ぶようになれば本物だろうが、それだと揶揄われているようで、かえって反発したくなる。
そう思うのも、歳をとった、馬上復た帰らず、の想いのせいだろう。
この日は、人間のことを忘れて、植物の成長を愛でる、珍しい日になった。
これをイノチの洗濯、サツキ晴れとも言うのかもしれない。
写真は、飛鳥川