ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

「蜜柑」

2021.04.27 両手いっぱいのやることが有りすぎて、夢の中まで侵入して来られて、混乱している。
妻の居ない環境になってみれば、久しぶりに自省の時間が生まれて、「こうしてはいられない」のに、「ではどうしたらいいのか」が見つからないで、うだうだ茹でられたタコ状態になっている。
そんなところに妻から電話があり、
「なんだが変わって来たみたいよ」
「なにが」
「早く出られるかもしれない。治療が終えるかもしれない、になったみたい」
妻はやることがなくて、考えることはいつも一本道だ。
看護詰め所に電話をかけ、妻の様子を質すと、
「主治医に確認しますと、明日の午後2時からでしたらお話しできるとのことです」
それで、今日、病院に行く。
おそらく足の治療は断念して、切断、になるのかもしれない。
そのあと、就寝の前に「裸の島」の記事を見た。
小学生の時、学校の巡回映画で見た記憶があり、その旨のコメントをした。
記憶違いで、1960年公開映画だった。
まったく脈絡もないのに、夢の中で、芥川龍之介の「蜜柑」が出て来た。
少女が身を乗り出して、窓から何か放り投げている。
その場面の記憶がある。
気になり、朝起きて、ネットで調べると、
陰鬱な気分で、田舎者風な少女の様子を苦々しく見つめていた主人公が、列車の窓を開けて、走りゆく外の景色の中に、たぶん少女の兄弟たちが手を振って見送っている、それが見えた瞬間に、一切が溶解されて、「暖かな日の光のような色をしている」蜜柑、になるのだった。
主人公は、救われた、「暖かな日の光のような色をしている」気分になる。
芥川の「蜜柑」「手巾」など、現代もテレビドラマなどの登場人物の心理描写によく援用されている。
しかし、時代はまったく変わった。
その背景を知る者は少なくなった。
「ダサイ」「シラナイ」「ピエン」の一言で片づけられそうな、年寄りにはチンプンカンプンの、超短縮言葉が巷にあふれている、らしい。
夢の中に「蜜柑」が出て来た理由は、今もってわからない。
なんの暗喩であったのか、窓を開けて「蜜柑」を投げたのは自分なのか、妻の方であったのか、……。