ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

歳月は無残なり

2021.04.20 過去に幾度が入院した時とは異なる今回の隔離生活に、妻の糸が切れた。
多くの機器につながれ、手足の拘束状態であった、ICU室の緊急入院のときでさえ、そばで顔を見ながら声をかけることができた。
声掛けに応答はないが、目は物を言う、のは分かる。
それがこの度のコロナのせいで、そのような励ましがまったくできなくなった。
「迎えに来て! 今日帰る!」
驚いて担当医師に電話すると、


気持ちがもう持たなくなっています。精神的に不安定になっています。精神科の医師に相談しなければと考えています。足の血管はもう再生できません。足指の先の黒点も目立つようになっています。アンプトしかありません。


そんな意味のことをたぶん、言われた。
アウト、またはアンプト? と聞こえた、切断、の意味なのだろう。
前回は、よく意味がわからないまま納得して、生きる方を選択した。
元々、自力では立ち上がれない、下肢だ。
残りの片方を失って、何ほどのことがあろうか。
それは妻以外の、家族を含めた、他者の考え方だ。
本人には、そうまでして生き伸びたくない、気持ちがある。
しかし、妻の命は妻だけのものではない。
家族、兄弟、近親者全員のものでもある。
前回はそのために、義兄の了解をもらって、アンプトした。
たちまち、家に連れて帰って、その後をどうするかを熟慮しなければならない。
右下肢の動脈二本が壊死している、その状態が具体的に想像できない。
どれくらい妻の痛みに対する耐性が持続できるものなのか、
一週間もして、我慢できずに外科手術に駆け込むのか、
「ご主人の顔を見れば落ち着くかもしれません」
それは確かにそうだ。
元凶は、お互いの顔を見て話せないせいだ。


夜、電話があり、
「明日行く。先生と話して、とにかく病室内に入れてもらい、あんたの顔を見てどうするか決めよう。どうしても帰りたければ、今週の金曜日には退院させてもらうように話す。そうしたらたぶん、希望通りに家で看取ることになる。家で死ぬことは構わないが、まだあんたも死にたくないだろう?」
そういった「生きる、死ぬ」という会話を、普段からよく二人で交えたものだ。
最後には人間は「生きたい」の方を択る、それが二人ともよくわかっている。
決して、薄情なのではない。


歳月は無残なり。共に36歳、長男誕生のとき。