ひげ爺の今は〇〇となりにけり。

初期の老々介護日誌から、思い出の記、艶笑小咄、別サイトで歴史情話など掲載

我が家は桃源郷?

2021.01.22 いろんな言われ方をされますが、代表的なのはよく耳にするアルツハイマー型認知症でしょう。
昔はただのボケの一言で済まされ、実際「困った爺さんだ、困った婆さんだ」と言われながら、それでも寿命が尽きるまで生きて死んだ。
そこにどんな薄情も厚情もない。
なにしろ、そう思われている本人は、自分が不幸だともみじめだとも思っていない。
そういった感情は薄れて行って、ある意味、感慨無量の桃源郷に住んでいる。
それを何も治療して、ボケを遅らせることはない。
すべての意識を持って死ぬことが幸せか、死ぬという意識さえ失って死ぬことが不幸か、考えれば後者の方が幸せに決まっている。
健常と思っている者たちの尺度で、ボケの者たちの幸不幸を測らない方がいい。
妻を見ていると、そのような風に思えてくる時がある。


飛行機が墜落するとき、人間は痛みを感じなくなるそうだ。
日航123便のオスタカの尾根に散らばる残骸映像を見て、人間はひとたまりもないことを想い、直前には一切の有意識から解放されていると聞かされても、やはり無慙な思いに囚われる。


昨夜、食後の後片付けをしようとしていると、目薬を差し出して、要求する。
洗い物を先に終え、テーブルを拭き、それから目薬を注すのが我が家の食後のルーティーンになっている。
「片付けが終わってから、その後に目薬だよ」
そう諭せばすぐに納得して、そのままの姿勢でその場で待っている。
腕はもう永年、口より上には上がらないので自分では目薬は注せないのです。
夫が妻に目薬を注してやる、違和のない、老後の、あたりまえの姿だ。